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甘い地獄
翌日、僕は栞さんの部屋のインターホンを押した。
「はい」
すぐに返事があったことに安堵する。
だが、栞さんの容態はわかりやすく悪化していた。
誰が見ても病気だとわかるほどにやせ細り、目元にはクマができていた。刻一刻と、病は確実に栞さんの体を蝕んでいた。
「お体・・・お変わりないですか」
「えぇ・・・」
次に何を言えばいいかわからず、どもっているとドアを少し広げ、
「立ち話もなんだから、どうぞ」
と部屋に招いてくれた。
僕はお言葉に甘えてあがらせてもらうことにした。
「お茶入れるね」
「お構いなく、気遣わないでください」
「そう・・・」
小さい歩幅で栞さんはソファに戻り、ちょこんと僕の隣に座った。
テレビの音が小さく流れているリビング。静かすぎて、落ち着けない。こんな空間に毎日一人でこもりきりだと、余計に気が滅入ってしまうのではないか。
せめて喚起をしようと立ち上がると、腕をつかまれ、ソファに引き戻された途端に栞さんの腕は僕の背中に回され、か弱い力で抱きしめられた。
「ごめんなさい・・・少しだけ」
何も言えなかった。
つい先日家族のことを知ってしまったばかりに、栞さんに対する気持ちは心の奥底に静めたのだ。例え離婚する形を選んでいたとしても、それはきっと不本意な決断なはずだ。彼女を幸せに、安らかに見届けられるのは僕ではないとその時悟ったばかりなのだから。
でも、結果的に今の彼女の心の拠り所になってしまったのは間違いなく僕のお節介のせいだ。
きっとここで一人で暮らしている孤独さは計り知れないであろう。
自ら手放した家族を思いながら、はち切れそうな気持ちで、日々病に蝕まれ自由を奪われていく彼女を思うと、同情せざるを得なかった。
「ごめんなさい、こんなこと・・・」
無意識に僕は栞さんを抱きしめ返していた。
「いいんです、僕は」
そう言うと栞さんは僕の胸の中で静かに泣き始めた。
一人で抱えていくにはあまりにも大きすぎた重荷を、少しでも解いてあげられるのが僕なら、余すことなく全うしようと思える。
何もかもを手放すことを選んだ彼女の一番の味方でいることが、最善の選択であると思った。
そっと体を離すと栞さんは涙で頬を濡らしていた。
手のひらで少し拭った後、
僕らはキスをした。
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