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元隣人
後日、僕はマンションから引越しをした。
大学の近くの小さいアパートを借りて、麻里と栞さんの思い出から足を洗うことを決めたのだ。
愛する人を失う辛さを教えてくれた麻里と、叶わない恋と家族の絆を教えてくれた栞さん。いつまでも甘い地獄に甘えていてはいけない気がしていた。元々二人で暮らしていたマンションだったというのもあり、新しいアパートは一人暮らしの自分にはちょうどいい広さの部屋を借りた。
新生活は思ったよりも淡白で、アパートというのもあって住人は少なく、やはり近所付き合いはうまくできなかった。その中で、引越しの挨拶というものをやってみると案外打ち解けるのがあっという間だということを知った。
挨拶を交わす人がいるだけでも、こんなにも心強いなんて知らなかった。
あのマンションへ一人で越してきた栞さんも、僕に対してそう想ってくれていたら嬉しい。
栞さんの退院を知ったのは、冬が明け春になろうとしていた頃だった。
僕が病院を去った後、無事に家族と連絡が取れた栞さんは病室で再会を涙ながらに喜んでいたそうだ。
そして、ドナーも見つかり手術は成功。家族揃って笑顔で退院していったらしい。病院の看護師に聞く話だと、旦那さんは、どうして彼女が無事に入院できていたのか、誰がここまで世話を焼いてくれていたのかと尋ねたらしいが、僕の希望で近所の人がたまたま倒れているのを発見したと伝えてくれたみたいだった。
僕も晴れて大学を卒業し、ご縁があって、栞さんが入院していた病院へ研修医として配属されることになった。
配属が決まったときは、栞さんを担当していた科からだいぶひやかされたが、今となっては思い入れのある病院で医者として成長できることが嬉しかった。
両親の意向で目指していた医療の道だったが、人の命の重さを知りえるきっかけをくれた栞さんのおかげで、今となっては誇りに思える仕事になった。
生きることを選択してくれたことを、こんなにも幸せに思える。
僕が医者として患者さんたちに希望を与えられる立場でありたい。そう思えるようになった。
配属先が決まった話を両親はとても喜んでいた。
あえて栞さんの話は伏せたが、最終的に僕自身の意思で医者になると決めた話をすると母は泣いて喜び、父は祝い酒をしたいから実家に顔を見せに来なさいと言った。
疎遠になっていた家族との会話も、いつの間にか自然とできるようになっていた。
叶うのならば、感謝の気持ちを伝えたい。
止まっていた人生の時間軸が、またちゃんと動き出すきっかけをくれたのは間違いなく栞さんだからだ。
だけど、僕はただの隣人で、今はただの【元隣人】だ。
それ以上もそれ以下も無い。
お互いの人生の実りを表すかのように、満開の桜は風に舞っていた。
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