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15. LETTERA D'AMORE
1
オルダーニ家本邸の窓から見える広い庭は、すっきりと晴れた陽光を受けて、鮮やかな緑と色とりどりの花の色彩を放っていた。
私室の窓際の読書机に座り、ジュスティーノはぼんやりと庭を眺めた。
本邸に戻って一ヵ月近くが経とうとしていた。
始めは父母にも屋敷の者にも過剰に心配され、少々の外出もいちいち咎められる日が続いたが、それも最近は漸くなくなって来ていた。
イザイアの元に残して来た使用人は、その後一人だけは回復して本邸に戻ったものの、残りは死亡し埋葬した旨の知らせがあった。
イザイアが手ずから書いた手紙を取って置きたかったが、ペストの腐臭が付いているかもしれないと、レナートが内容だけを伝えに来て燃やしてしまった。
今ごろ何をしているのかと思った。
診察する患者はもういないはずだ。また初めて訪ねた時のように娼婦を侍らせて遊んでいるのか。
それとも使用人を呼び付け、私室で性交の相手をさせているのだろうか。
もう少しでいいから、あの部屋にいたかった。
出窓の縁に置いた砂時計に手を伸ばし、ひっくり返した。
隔離されていたときに、日付の分かる物が欲しいという要求に対してイザイアが置いて行ったものだ。
イザイアとの思い出の品と言ったら、これくらいかと思った。
扉がノックされた。
「ジュスティーノ様」
レナートの声だった。
「入れ」
やや上の空な表情で落ちる砂を眺め、ジュスティーノは言った。
「パガーニ医師からお手紙が届いていましたが」
目を見開き、ジュスティーノは椅子から立ち上がりかけた。
「な……何て」
「先に請求書をお渡しした分の治療費は、確かに受け取ったと。それと残りの治療費について」
入室し、こちらに歩み寄りながらレナートは言った。
表情を固まらせジュスティーノは従者の顔を見た。
「あとは」
「それだけです」
レナートは言った。
「挨拶の文も殆どなく、単刀直入に要件だけを書く方なんですね。まあ、医師や学者などはそんなイメージですが」
「……近況などは」
「ありません」
ジュスティーノが脱ぎっ放しにした上着を見付け、レナートは両手で持って軽く形を整えた。
本当にもう、彼の中では無かったことになっているのかとジュスティーノは思った。
自分の存在は、すでに何かの幻影というくらいの認識なのか。
一体、何人の人間にこんなことをしてきたのか。
「医師のご実家が、割と早い時期に本邸に知らせてくださっていたそうですね。あなたが当主の弟君の屋敷に滞在していると」
上着を腕に掛けレナートは言った。
「お陰で馬車の手配もすんなり行きましたが」
レナートは眉を顰めた。
何か言いたそうだと察して、ジュスティーノは従者と目を合わせた。
「なぜ医師どのは、そのことをあなたに言わなかったのでしょう」
非難めいた口調だった。
「……よくは知らんが、ご実家とはあまり仲が良くないらしい」
ジュスティーノは苦笑した。
まだイザイアのことを擁護したい気持ちがあった。
これだけ冷たい振る舞いをされているのに、まだ良い方に解釈したい自分がいた。滑稽に思えた。
「パガーニ医師も、知らなかったのではないかな」
「へえ……」
レナートは呟いた。
「いろいろだ」
そう言い、上着を両手で持ち直した。
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