385人が本棚に入れています
本棚に追加
下男が背中を丸めて咳をする。
イザイアに教えられた通り、ジュスティーノは口に手袋を当てた。
「お前にも医師を呼ぶ。そのままでいろ」
「いや……あたしは」
息を切らしながら下男が言う。
「気にするな。今呼んで来る」
「朝まで平気だったんですが」
そう言い、下男は再び咳込んだ。
ジュスティーノはゆっくりと後退った。
介抱してもやらない自分が酷く冷酷な人間に思える。
罪悪感を覚えながら、厨房の出入り口の縦枠に手を掛けようとして動作を止める。
イザイアが、やたらとあちらこちらを触らない方がいいと言っていなかったか。
出入り口の縦枠をまじまじと見た。
ペストの腐臭が付いているということか。
下男の身体が、大きく動いた。
目を剥いて宙の一点を凝視し、無言で踠く。
「だ……大丈夫か」
下男は懸命に息を吸い込んでいた。
口をぱくぱくとさせ、硬直した手を前に出して床を爪で掻く。
「おい……お前!」
背中でも擦ってやれば、少しは楽になるだろうか。そう思ったが、近付くことは出来なかった。
こんな時にどうするべきか。
道徳として教えられたことを禁じなくてはならないということに、心理的な苦しさを感じた。
自身の身体に変調は無いはずなのに、下男と同じように息苦しい気がする。
酷い罪悪感に苛まれながら、ジュスティーノは下男の踠く様子を凝視していた。
「待っていろ。医師を」
そう言いつつも、医師など呼んでも間に合わないだろうと直感する。
祈れば良いのだろうか。
十字を切りかけた。
めいっぱい見開かれた下男の茶色の瞳と目が合う。
助けを求められているのか。
駆け寄りたいという道徳心に、必死に逆らい続けた。
「すまん……」
そうジュスティーノは呟いた。
何もせず、下男の踠き苦しむ姿をじっと見続ける。
かなり長い時間だったが、ようやく下男は動かなくなった。
ジュスティーノは、その場に立ち尽くした。
物心ついた頃から信じていた道徳に逆らい続けたことで、自身の中の何かが壊れた気がした。
何故こんなことをしなければならないのか。
太陽が、更に西に傾いていた。
厨房の窓から見える敷地の一角に、西日が射している。
誰か助けてくれ。
そう思った。
だが、死体ばかりの屋敷内で、誰が助けてくれるのだ。
神も当然来てはくれなかった。
道徳心に逆らい、人が死ぬところを介抱もせず長々と見詰め続けた。
地獄に堕ちたかと錯覚するような状況に、何も来てはくれなかった。
最初のコメントを投稿しよう!