PROLOGO

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 目の前まで来ると、稀有な程に整った顔立ちだと分かった。  彫刻刀で描いたかのような眉とその下の綺麗な掘り、鋭い(まなじり)、造形良く通った鼻筋と薄い唇。  人間臭さの無きに近い顔立ちと眼光の鋭さに呑まれ、ジュスティーノは戸惑った。  「“ 知らねばなるまい ” の意味が分かるか?」  男性は言った。 「いや……」 「不勉強な方だな」  男性は口の端を上げた。ジュスティーノの解けかけた襟締(クラバット)に指を掛けると、シュル、と音を立てて解く。  気圧されて指先を見詰めるジュスティーノに構わず、男性は襟締(クラバット)を丁寧に結び直し始めた。  「ここは、イザイア・パガーニ殿の屋敷と聞いて来たが」 「如何(いか)にも」  男性が答える。 「パガーニ医師はどちらに」 「私だが」  男性はそう答え、結び終えた襟締(クラバット)を軽く整える。  ジュスティーノは更にまじまじと男性を見た。 「何か」 「いや……もっと年配の御仁を想像していたので」  ほう、とどうでも良さそうにイザイアが返事をする。  ジュスティーノは付き人を振り返った。 「病人を診察して貰いたい。視察中に突然倒れた」 「どこぞの若様とお見受けするが」  イザイアがそう問う。 「ジュスティーノ・オルダーニ。オルダーニ家の長男だ」  ああ、と言ってイザイアは腕を組んだ。 「アルノ川の傍のお屋敷の」 「うちをご存知か」 「それなりの御家はだいたい把握していますが」  イザイアは言った。 「それより診察を」  床に寝かせられた付き人をジュスティーノは指差す。  イザイアは腕を組んだまま、目線だけを動かして付き人を見下ろした。 「熱は」  そう尋ねる。 「高い。意識も今は朦朧(もうろう)としている」  ジュスティーノは答えた。 「他に目に付いた症状は」 「どこか痛いらしいのだが」  イザイアは、おもむろに傍にあった長い蝋燭(ろうそく)を燭台から抜いた。  寝かされた者の首の辺りを蝋燭で探る。 「服を脱がせろ」  そう付き人達に指示した。  付き人達が慌てて屈み、シャツを雑に脱がせる。 「下もだ」  そう言いながらイザイアは蝋燭で身体の側面を探った。 「若様、どちらからいらした」  そう言い、蝋燭にグラスの酒をかける。 「ここ一週間ほどは、どちらに滞在されていた?」 「一昨日までルッカの方に」  ジュスティーノは言った。 「マルセイユから来た者は周辺にはいませんでしたか」  イザイアが、元通り蝋燭を燭台に立てる。 「知らんが……海の近くなので、いくらかはいるのでは」 「そんな所でしょうな」  イザイアは自身の後頭部に手を回そうとし、途中で手を止めた。寝かされた付き人から離れ、すたすたと広間の出入り口に向かう。 「診察は」  焦ってジュスティーノはそう引き留めた。 「マルセイユで今、ペストが流行っているのはご存知か」  イザイアは言った。傍らのテーブルにあったグラスの酒を口に含むと、両手に吹き付ける。 「鼠径部(そけいぶ)に腫れが見受けられる。おそらくはペストでしょう」  すぐには理解できず、ジュスティーノは医師の動きを目で追った。  病人を運んで来た付き人達に、意見を求めようと目を向ける。  付き人達は戸惑い、逆にジュスティーノの指示を待っているようだった。  起こっていることを否定したいという意識がまず動いた。  この医師の誤診なのでは。  そういう結論に持って行きたかった。 「ペスト禍など、二、三世紀前の話では」 「今でも流行する地域はたびたびありますよ。十五世紀ほどの壊滅的な流行にはならんが」  イザイアは言った。 「潜伏期間は一、二日から一週間。腺ペストなら肺ペスト程には進行は早くないので、歩き回って広める者もいる」  広間の扉を開け、イザイアは一度女たちの方を振り返った。 「後は勝手に遊んでいろ」  声を張りそう告げる。女たちの中には、寝てしまったらしき者もいた。 「わたしは若様と遊ぶ」  そう言い、イザイアは廊下の方に踏み出した。 「遊ぶとは」 「冗談だ」  イザイアは口の端を上げた。 「若様は、当分この屋敷に隔離だ。……ああ、他の者も」  イザイアはその場にいた一人ずつを指差した。 「案内できる者を呼ぶから、そこを動くな」
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