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診察する杖の動きをジュスティーノは暫く見詰めた。
「余計なことなのかもしれんが」
そうと切り出す。
ここで十日を過ごすうちに、医師に対してある種の親近感を持つようになっていた。
素顔を見たのは駆け込んだときの一度きりだが、話しぶりに人当たりの良さを感じていた。
穏やかで気遣いのある人物だと判断した。多少の苦言なら聞いてくれるのではと思う。
「ここに来たときに広間で侍っていた女性たちは」
「ああ、近くの街の娼婦たちですな」
「あんなに集めて?」
非難の口調でジュスティーノは言った。
既に四日後にはここを離れるつもりでいた。
付き人達が回復したら、人を迎えに寄越すことになるだろう。
自身がこの医師と会うことは、おそらくもう無い。
知識もあり、人物としても悪くはないと思われる医師が、あんな風にふしだらに時間を潰しているのは勿体ないと感じていた。
「お言葉だが、昼間から感心しないな」
ジュスティーノは言った。
「あれ以降は呼んでいませんが」
「そうなのか」
イザイアは杖をテーブルに置き、フードマントの肩の辺りを直した。
鳥のような仮面の顔を再びこちらに向ける。
「若様と遊んでいる方が楽しいので」
口調に、これまでの十日間の話しぶりとは微妙に違うものを感じた。
この医師の人物像をどこか間違って判断していただろうか。ふとそんなことをジュスティーノは思った。
衣擦れの音をさせ、イザイアが寝台に近付く。上体を屈ませジュスティーノの顔を見下ろした。
さほど身体を近付けている訳ではないが、横たわった格好で見下ろされているせいか、のし掛かられているような威圧感を覚える。
「既に堕落している者より、綺麗なものを汚す方が昂ぶりませんか」
何となく雰囲気に呑まれ、ジュスティーノは仮面をじっと見詰めた。
仮面の目の辺りを凝視するが、出会った時に見た医師の灰色の瞳は、仮面の窪みが作った影でよく見えない。
「……それは、医学的な話なのか?」
「面白い」
イザイアは言った。
「三世紀前のペスト禍の時代には、ペストが陰の気から発生するとも信じられていて、楽しいことのみをしようと不眠不休でパーティーをし続けた者もいたというが」
ゆっくりとイザイアは言葉を紡いた。
「中には男女入り乱れての如何わしいパーティーもあったらしい」
突然何の話だとジュスティーノは戸惑った。
ただの雑談かもしれないが。
「……その後、その者たちは」
「殆ど死んだでしょうな。ペスト以前に不眠と荒淫で衰弱する」
だが、とイザイアは続けた。
「快楽で死の病が避けられるのなら、良いこと尽くめだと思いませんか?」
口調に、有無を言わさぬ強引さと人を呑み込むような威圧感を覚えた。
「……医学に明るくはないので、あまりよくは」
ジュスティーノは戸惑いながらそう答えた。
「面白い方だ」
イザイアはそう言い、含み笑いをした。
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