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「瀧沢さんの携帯でよろしいでしょうか?」
朝、ホテルで身支度を整えていると、登録されていない番号から着信があった。
「はい。瀧沢でございます」
「私、先日お参りしていただいた、潤之助の母親です」
待っていた人物からの電話に、思わず笑みがこぼれる。
「はい。その節は突然の訪問に関わらず、おもてなしをしていただき、ありがとうございました」
要件は分かっているが、ここは、ゆっくりと対応をする。
「いえ。こちらこそ、お花まで送って頂いて。ありがとうございました。仏前に供えさせていただいております。実はその後、妙な事が起こるようになりまして、瀧沢さんに霊感があるとおっしゃっていたのを思い出しまして、ご連絡した次第でございます」
そうだろう。
「そうですか。では、やはり…」
「はい…。あの、もし、お時間がありましたら、こちらまでご足労願えませんでしょうか?」
母親の動揺は、丁寧な言葉遣いの端々に感じ取れる。
潤之助は上手くやったようだ。
「ええ。構いません。それでは、本日10時にお伺いいたします」
「はい、お待ちしています」
電話を切ると、加々美の着物を脱ぐ。
いつも持ち歩いているキャリーバックから、久しぶりに着る安物の訪問着を出す。
通年柄の淡い桃色の訪問着。正絹だが、加々美の物と比べるとまるで浴衣のようだ。
これは修行を始めた頃、なけなしのお金で作った特別な着物。
今日は、こちらの出番だ。
急いで着替えると、結い上げた髪に桃の花が描かれた簪を挿し、念のため、絹糸を組んで作られた細いブレスレットを右手にはめた。
まだ9時を回ったところだが、潤之助が待つ公園へ向かうためホテルを出た。
「潤之助、よくやったな」
公園のベンチに着くなり、いつもより距離を置いて声をかけた。
「ママ。僕の事、分からなかったみたい。とっても怖そうだったよ」
目を潤ませて、訴えかける。
「ママには見えないんだ。それは潤之助も分かってるだろ」
目を伏せて、悲しそうに頷いた。
潤之助にモノの動かし方と、もう一つ。母親への抱きつき方を教えた。
潤之助を使って奇怪騒動を起こさせたのは、自分の存在がどういうものなのか分からせるためでもある。
「今日はこれから、ママの所へ行く。潤之助も一緒に来るか?」
「ホント!行く!」
さっきの悲しそうな顔が一変、笑顔になった。
今日の潤之助の仕事を説明と、大事な話をした。
それが終わった頃、約束の時間になった。
「瀧沢でございます」
インターホンに応答した母親に挨拶をする。
すぐに玄関が開いて仏間に通された。
「瀧沢さんが来られた日から、潤之助のおもちゃが動き出したり、お供えしてあるお菓子が変なところに移動していたりして。それに時々、何か気配を感じる気がするんです」
必死に訴える姿は、私が望むものだった。
「やはり、呼び寄せていますね」
その一言で、母親の顔が一層強張った。
私は、傍らにいる潤之助に目配せをした。
「ひっ。今も何か気配を感じました」
正座する母親に潤之助が力いっぱい抱きついている。
「そうですね。今もこの部屋にいますね」
「そんなっ。」
「しかし、お札を張れば収まるでしょう。
私、実はこういう仕事もしております」
加々美とは違う、祓師の名刺を差し出す。
「はらいし?」
「はい。一つお見せしましょう」
そう言って、右手にはめたブレスレットを外し、母親に抱きついている潤之助に触れた。
潤之助は、弾かれたように部屋の隅に飛んで行き、目を丸くして驚いている。
「どうです、気配は消えたでしょう」
「はい…」
そして、母親の手をギュッと掴む。
母親はビリビリと電流が走るような刺激を感じて腕を痙攣させながら、潤之助と同じ目で私を見ている。
「しっかりして下さい。私は、貴方に何もしていませんよ。ただ、落ち着くように手を握っているだけです」
母親は、私と握られている自分の手を交互に見ながら、恐怖の色を顔に表し始めた。
みるみる血の気が引いていく母親の手をようやく離すと、母親はぐったりとその場にうずくまった。
「顔色が良くないですね。体調を崩されましたか?しばらく横になった方がいいでしょう」
呼吸の浅い母親にそっと声を掛けると、外したブレスレットをまた右手にはめ、別室で電話をかけた。
「もしもし、救急車をお願いします。女性が自宅で倒れました。住所は…」
これで、母親は妊娠を知ることになるだろう。
心配そうに母親に寄り添う潤之助。その一番の願いが間もなく叶えられる。
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