プロローグ

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プロローグ

俺達が死体の現場に到着している頃には、 もう死体は死んでいないかもしれないぜ ──スタンド・バイ・ミー/原作スティーブン・キング『死体』より 「死体?」 「そう、死体」  そう言ってまた、何も面白いことはないのにセシーリア・フライトは笑った。  二カ月前、初めて声をかけてきたときもそうだった。放課後の図書室、私はミヒャエル・エンデを読んでいた。小学生の頃にとうに読み終えてしまったシリーズだったけれど、原語版を見つけたので気になって、辞書を片手に、ときどき訳文をノートに書き出しながら、懐かしくも新鮮な世界に浸っていた。そこにやってきて、「君は字が綺麗だね。書記をするといいよ」と話しかけてきたのが彼女だった。 「もうしているわ。クラスの書記なの」 「知っているよ。二組のだろう? いいクラスだよね」  彼女は笑った。私は愛想笑いでも返すべきだろうか迷った末、どっち付かずの中途半端な表情を浮かべたままで、「知っているのならどうして勧めたの?」と訊いた。 「知りたかったんだ。君の返事。心底どうでもよくて早く会話を打ち切りたい相手の言うことは、大概人は間違っていても否定しないだろう? 適当に相槌を打って流してしまう方が早いからね。私と少しでもまともに話す気があれば訂正してくれるんじゃないかと踏んだんだ」 「そんな風に人を試すの、よくないと思うわ」 「人間の事を、善いか悪いかで区別するなんて馬鹿げた話だよ。人間とは、魅力があるか──」 「──さもなくば退屈か、そのどちらかなのだから」私は彼女の言葉を途中から奪って言った。「私とまともに話したいというわりには他人の言葉を引用するんだね」 「君は賢い人のようだ」  これまでも、似たようなことを先生や同級生に言われることはあった。実際勉強は好きで、テストの順位はいつも十番以内だった。だけど何故か私はこのとき、彼女に言われたその一言を、褒め言葉としては受け取ることができなかった。「読書の邪魔をして悪かった。またいい話題が見つかったときに声をかけるよ」とその後すぐに去っていったが、私は彼女が真に「賢い人のようだ」の後に続けたかったのはそんな社交辞令ではなかったような気がしていた。 「だから私の言葉がわかるよね」──とか。  穿ちすぎだろうか。あの短い会話で、あるいはその前に私の預かり知らぬところで行われていた観察で、彼女は物に値段を付けるように私をそう評価して、選り分けて、ポケットの中に入れてしまったような。そして私もまた抗えず、ポケットの中に入ってしまったような。  ──考え過ぎね。  私は勝手に走り始めた思考を止め、開いたままの本に視線を戻した。下校時刻までに読み終ることは叶わなかったので、カウンターに持っていって貸出印を押してもらう。手続きをしてくれたのは先ほどの長髪の彼女だった。一介の図書委員らしく淡々と作業をこなし、必要以外のことを喋ることもない。言葉遣いも本の扱いも丁寧だ。私が先ほどの出来事は幻覚だったのではないかしらとさえ考え始めたところで、彼女は一連の作業を終え、長い髪を片方の耳にかけ、微笑んで言った。 「ところで、私はセシーリア・フライトだ。よろしくね、ジューリア」  彼女が図書カードを読んだのか、それとも私の名前を予め知っていたのか、私には判断が付かなかった。  そしてこの不思議な図書委員に関して私が何の情報も理解も得ないままに二カ月の時が過ぎ、ある日いつものように本とノートを広げている私に彼女は「死体を探しに行かないか」と持ち掛けたのだった。
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