第一章 Departure

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早く着きすぎたせいか、まだ集合場所である空港のロビーには誰も来ておらず、鶴見は自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、時間を潰した。 野生下では数百頭レベルまで数を減らしてしまっている、スマトラトラ、スマトラサイ、スマトラオランウータンなどが今回の撮影目的だった。 “やっと、撮影にこぎつけたか……。 長かったなぁ…。” 目的地はインドネシア、南部に位置する ーブキ・バリサン・セラタン国立公園ー。 ここは、地形が険しく急峻な山地が広がっているため、開発の手があまり入らずまだ手付かずの原生林が残されているのだ。 鬱蒼としたジャングル、樹間を通して聞こえる鳥類や霊長類の鳴き声、見慣れない大型の昆虫に、熱帯雨林特有のじめっとした環境ーーーーー。 もうすでに、スマトラ島の熱帯雨林に自分がいるかのような錯覚に陥って、 鶴見は妄想に耽っていた……。 「おい!何一人の世界に浸ってんだよ!」 そう言って、後ろから背中を押してきたのは、同期で入社した松岡大貴であった。 「う、うあ!び、びっくりした!急に声かけんなよ!」 「悪りい、悪りい。でも、おまえが何だか一人、たそがれってから、つい、」 「べ、別にたそがれてたわけじゃ…。ただ、ちょっとスマトラの熱帯雨林に自分がいるような妄想しててさ………。」 「ふーん、まあ、いいや。と、ところでよ、そのスマトラ島の、俺たちがこれから行く何たら〜、セラタン国立公園だっけか、その公園にまつわる妙な噂を聞いてさぁ、おまえにも教えといてやろうと思って…、」 と、突然後ろから大きな声が二人の会話を遮った。 「お〜い!おまえ達、ずいぶんと早いじゃないか! だいぶ待たせたかな?」 「あ、おはようございます!飯田さん。い、いや、自分達もさっき来たばかりですよ。」 飯田 拓海ーー、今回の日本の撮影班のリーダーであり、数々の動物番組の撮影の指揮もとってきた敏腕プロデューサーでもある。 その傍らには今回の撮影のオブザーバーとして参加することとなった丸山教授が満面の笑みを浮かべながら、鶴見達に会釈した。 「いや〜、今回の撮影は大がかりなものになりそうですよ。特にスマトラトラはなかなかカメラに収めるのが難しくてねえ〜。なるべく多くの個体に発信機を取り付けて行動パターンやルートを解明できればと考えております。 宜しくお願いします!」 丸山 慎司ーー、某有名国立大学で教鞭を取りながら、トラの研究では日本で一二を争うほどの著名な研究者でもある。 そのため、今回のスマトラ島以外にも数少ないトラの生息地である、インドやバングラデシュ、もしくはインドシナ半島、そして時にはシベリアまで出向いて生態調査に繰り出している。 ーー、そしてもう一人がカメラマンの崎川 幸一である。彼も熟練のカメラマンで信頼し得る腕の持主である。 鶴見は同僚の松岡が囁いた妙な噂に後ろ髪をひかれつつも、頼もしい撮影メンバーに会って、昨日まで渦巻いていた一抹の不安も何処かにいったようであった。 五人は遂にーーーー。 インドネシア、ジャカルタ行きの便に乗り込んだ。 気持ちいいくらいの、快晴。 鶴見は飛行機が上昇していく中、窓から流れゆく景色を観ながら再び高まる興奮を抑えきれないでいた。
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