七、出発の夜

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「でも、どうして、あんちゃんは、分かったんだよ?」 「円生は以前、僕に絵を贈ってくれたことがあるんです」  清貴は、その絵を思い浮かべるように、目を細める。  水路を中心に、左右には軒先に赤い提灯が吊るした家々が並んでいる。  水路の水面は、明るい日差しに光り、その端には、屋形船が停泊している。絵の奥には、とても小さな船があり、石橋をくぐっていこうとしていた。  木々の緑に桃の花。よく見ると前の光景が昼まで、奥が夜になっていることが分かる。  手前の川の水面が陽の光を反射しているのに、奥の川には、白い月が浮かんでいるのだ。 「それは、白居易の詩をモチーフにした蘇州を描いた作品でした」  小舫一艘新造了 轻装梁柱庳安篷  深坊静岸遊應遍 浅水低橋去尽通  黄柳影籠随棹月 白蘋香起打頭風  慢牽欲傍櫻桃泊 借問誰家花最紅  ――小さな舟を一隻、作り終えた。  軽く梁の柱を立てて、低いとま葺き屋根を葺く。  ああ、これから深い町中も、静かな岸も、どこにだって行ける。  浅い水だ、低い橋も通り過ぎて、どこだって通っていける。  黄色く芽吹いた柳の影の中に、棹に随ってついてくる月が映っている。  白い浮草の香りが、頬を打つほどの風の中、漂ってきている。  ゆっくり舟を曳いて、桜桃の花の下に停めよう。  一番、紅く色づいている家は、どこだろうな――?  贋作師をやめることを決意した円生が、清貴に送った絵。  それは、これからの自由を思い、希望に胸を弾ませている一枚だった。 「僕は、この長安の絵を見て、蘇州の絵は同じ作者だと確信を持ったんです」  
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