七、出発の夜

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 注目作品は数あれど、一番の注目は、やはり蘆屋大成の作品だ。  特に新作『夜の豫園』は、しばらく招待客たちが絵の前に釘付けになった。  やがて、黄浦江で花火が打ち上がったことで、客たちはようやく絵から離れて、窓際に移動していった。  ようやく、蘆屋大成コーナーから人がいなくなったことで、清貴、小松、円生は、作品を前にすることができた。  そこには、円生の父が描いた『金剛界曼荼羅』と円生が描いた『胎蔵界曼荼羅』、『長安の町並み』、『夜の豫園』と、四枚の絵が並んでいる。  やはり素晴らしいですね、と清貴は洩らす。 「ここに、『蔵』の壁に飾っている蘇州の絵も寄託したいくらいですね」 「そうしたらどうだ?」 「絵の輸送には、それなりに時間がかかるんですよ」 「そういうものなんだな」 「ジウ氏にお願いしたら、アッという間に運べるかもしれませんがね」  清貴は、二枚の曼荼羅を眺める。  一度は『金剛界曼荼羅』を贋作だと突っぱねたジウ氏だが、実は、蘆屋大成は父子二人存在し、その父子が『両界曼荼羅』を完成させたと知ってここに飾ることを望んだのだ。 「あなたが、『胎蔵界曼荼羅』を手掛けたのは、約二十年前の個展で売れたお父様の『金剛界曼荼羅』がいつしか中国に渡り、そこで話題になっているという話を聞きつけたからですね? 上海を訪れたというのも、そのためではないんですか?」  絵を観たまま問う清貴に、円生は、「まぁ、そんなとこやな」と頷く。 「まわり回って親父の『金剛界曼荼羅』を手にした中国人から、大きな仕事を請けたんや。『仏画』を数十枚と『胎蔵界曼荼羅』を描いてほしいて依頼や。結構な額の前金も振り込まれた。せやけど、その頃の親父はアルコールに溺れて、手が震えて絵も描けへん。いつも俺が代わりに描いていたんや。作品を描く前に前金も入ったし一度中国に行きたいて思て……」  それで、中国に行ったわけだ、と小松は頷く。 「せやねん。上海、蘇州、杭州を回って帰ってきた。ほんで俺はまず仏画を手掛けたんや。最後にこの曼荼羅を描こうてなった時に親父は死んでしもた……そん時に死はずるい、て、ほんまに思た」 「ずるい?」  清貴は、円生の方を向く。 「親父には恨み言が山ほどあったのに、死んでしもたら涙が止まらへん。何もかも死が帳消しにするみたいに良い想い出だけが浮かぶ。俺は泣きながら、この曼荼羅を描いたんや」  円生はそう言って、『胎蔵界曼荼羅』に目を向けた。 『胎蔵界曼荼羅』は、受容。すべてを包む大きな赦しが感じられる。  円生はこの絵を描くことで、父のすべてを受け入れ、赦したのかもしれない。  清貴は、そうでしたか、と大きく頷く。 「曼荼羅は悟りを絵で示したものと言われています。この絵を描くことで、あなたも悟りに近い感覚を抱けたのではないですか?」 「せやな。不思議な感覚になった」 「あなたが、贋作師をやめた後、寺に入ろうと思った理由の一つだったのではないですか?」  清貴の問いかけに、小松はハッとした。  そうか。円生が出家したのは、仏門に下りこれまでの罪を償いたいというのもあったのだろうが、『胎蔵界曼荼羅』を手掛けてたことで、仏の世界に魅了されたのだろう。  円生は、どうやろ? と肩をすくめる。  見たところ、図星だったようだ。
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