七、出発の夜

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 清貴はワインを飲み干して、「さて」と顔を上げる。 「申し訳ございませんが、僕はここで失礼いたしますね」 「えっ、どこに行くんだ?」 「やはり葵さんの顔を見るまでは安心できないので、今夜の最終便でニューヨークに行きます」 「えええ、今からニューヨークまで行くのか?」 「はい、勝手に会いに行って怒られないかと不安ではあるんですが……。その時は、少し離れたところから見守っていようかと」  清貴は、それが怖いらしく、しゅんとした表情を見せている。  葵の身を案じ、すべてを捨てる覚悟で奮闘していた清貴だが、そのことを葵に伝える気はなさそうだ。  葵に教えてやりたい、と心から思う。  この清貴が、葵のために円生に頭を下げたのだから……。  あの時、円生も言っていたが、清貴にとって、もっともしたくないことだっただろう。  ふと、小松の脳裏に清貴の声が過る。 〝何より、僕が帰依するのは美しいもの――芸術ですよ〟  小松は振り返って円生の作品を観た。  そうか、と雷に打たれたように分かった。  清貴が円生に頭を下げたのは、もちろん葵のためだっただろう。  だが、それだけではなかった。  この芸術を世に送り出すためだったのだ。そのために、自分のプライドを捨てることも厭わなかった。いや、逆にプライドを以てのことだったのかもしれない。  どちらにしろ愛する芸術のためならなんでもするのではないか、と思った小松の直感は、あながち外れていなかったということだ。
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