帰 省

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帰 省

  大銀杏の幹から氷柱のように垂れ下がった沢山の気根たち。その姿は、優しい母親の柔らかく温かな乳房を思い出す。だから、その稀有な姿をいつ、だれが名付けたのか‶垂乳(たらち)根(ね)の銀杏〟と呼ぶようになった。  優作(ゆうさく)は、東京の大学を卒業した後、学生時代に取得した資格を活かして都内の社会福祉に携わる企業で社会福祉士として働き始めて三年目を迎えていた。久しぶりに生まれ故郷の長野の親(おや)沢村(ざわむら)に帰省したのは、数日前に気象庁が梅雨明け宣言をしたばかりの七月の事だった。 長野県は避暑地とは言え、ギラギラと照り付ける夏の日差しに優作の首筋には、滝のように汗が流れ落ちていた。その汗を手にしたハンカチで拭いながら優作は、垂乳根の銀杏を見上げた。 「やっぱり、ここに来ると落ち着くな。」 優作は、独り言を呟きながら大きく深呼吸を三回した。大きな銀杏の精気を体全体で感じていた。それから、地面に着きそうなくらいに長く伸びた気根の一つを両手で触ると 「ただいま。」 と言いながら頬を寄せた。優作が、一人自分の世界に浸っていると背後でかすかな声が聞こえた。その声は、だんだん大きくなり、近づいて来る事がわかった。だが、優作は、そんな声を気にする事無く目を閉じて忘れていた気根の雅やかさを思い出していた。 「優作〜、帰っていたのかぁ〜。」 さすがに自分の名前を呼ぶその声に優作が、振り向くと必死で自転車を漕ぎながら大声で叫び近づいて来る浩一の姿があった。 浩一は、優作にとって、地元で唯一の親友だ。優作は、浩一に大きく両手を振って答えた。ハアハアと荒い息づかいで自転車から下りて来た浩一は、嬉しそうに優作の側に駆け寄ると優作の肩をぎゅうと抱きしめた。 「久しぶり。元気だったか。」 浩一の言葉に 「おぉ。」 と照れくさそうに答えた優作だった。 「今、帰って来たばかりで直ぐにここに来たんだ。」 「あぁ、駄菓子屋のおばちゃんが、優作が帰って来てるって言うから家に行ってみたらいないからここだと思ってチャリとばしてきたんだよ。帰ってくるなら連絡してくれれば駅まで迎えに行ったのに。家まで、どうやって来たんだ?」 「駅前からタクシーで。そう言えばタクシーから降りたら目の前に駄菓子屋のおばちゃんが居て挨拶したよ。今回は、親父の四十九日法要で帰省しただけでゆっくりしていられないから連絡もしなかったんだよ。」 「そっか。優作の親父さん、死んでもう、四十九日になるんだな。はえなぁ〜。法要は、家でやんのか?」 「あぁ。法要って言っても親父は、誰とも付き合い無かったし、敏江叔母さん夫婦と俺だけで家でな。まだ、親父の遺品整理もしてないし、そんな事もやらないといけないからな。」 「敏江叔母さんは、親父さんの姉さんになるんだっけ?」 「そう。親父は、七人兄弟の末っ子ですぐ上の姉が敏江叔母さん。他の兄弟は、もう、歳で足が弱ってるとか、入院中とかで、来れないんだ。七番目の親父が、兄弟の中で最初に死んじまうとは、おじさん達も思っていなかっただろうな。敏江叔母さんは、八千村(やちむら)に嫁に行ってるから近いだろ。だから、何かと言うと直ぐに来てくれるから助かっているんだよ。でなきゃ、俺、一人じゃ何も分からねぇからな。」 優作は、そう言いながら垂乳根の銀杏の木の下に腰を下ろし太い幹に寄り掛かった。 浩一も優作の隣に腰を下ろすと胸ポケットから煙草の箱を取り出し、箱を上に一回振った。その振動で開け口から一本煙草の吸い口が現れると優作の目の前に突き出した。 「おぉ、ありがとう。」 優作は、進められた煙草を一本手に取った。浩一も一本口にくわえるとジッポをズボンのポケットから取り出して火を点けた。優作は、煙草を口にし火に近付け一口大きく吸い込んだ。それから、フワッと煙を吐き出しながら 「タバコ吸うの久しぶり。辞めてたんだ。」 ボソッと言った。 「なんで?」 「うん。なんか、親父死んでから吸ってもうまいと感じなくて、だから、意味も無く辞めてたけど、久しぶりに吸ったらうまいわ。」 「なんじゃ、そりゃ。」 たわいもない二人の会話だった。お互いが、黙ったまま二口煙草を吸い、白い煙を吐き出した。 「やっぱり、田舎っていいよな。落ち着く。」 優作の口から煙草の白い煙が揺れながらフワフワと広がり消えていく。 「あんな人だらけ、冷たいコンクリートだらけの中に居るからそう思うんだよ。戻って来いよ。俺なんか、うまれてこの方一歩も村から出た事が無いからそう言う気持ち分からねえんだけど。むしろ、東京さぁ行きてぇ。銀座って言う所で飲んでみてぇって思うけどな。憧れだっぺ。田舎もんの。」 浩一が、訛り雑じりのふざけた言い方をしながら優作を見て言った。 「銀座なんて、俺も行った事無いよ。」 「マジで?社会に出て、三年経つんだよ。もう、二十五歳だよ。東京に居て銀座行けて無いの?何だよぉ〜。働き始めたら最初の給料で行く夢の国じゃないのかよ。で、一晩で、一カ月必死で頑張った金全部取られて、次の給料日まで青くなって必死こいて働くってのが田舎から都会に出て行った若者のステイタスじゃないのかよ。早く銀座デビューして、俺を呼んでくれよぉ〜。頼むぜ優ちゃんよぉ〜。」 「そうだな。」 銀座に対して熱い思いを口にした浩一とは違い冷めた言い方をする優作だった。 子供の頃から優作と浩一は、正反対の性格だった。何事にも興味があって、熱くなる浩一は、明るい性格で面白くて、だから友達も多くクラスの人気者だった。 一方、優作は常に冷静で物事に対して特に関心が無く、物欲も無く、内向的で自分から誰かと話そうともしない。休み時間は、一人静かに教室の隅で本を読んでいる。誰かと関わる事は、避けている様な周りから見たら変り者の部類に属していた。 そんな正反対の二人だったのだが、共通点があった。二人とも群を抜いて運動神経が抜群だった。学校の授業で、野球をやってもサッカーをやっても水泳、陸上、あらゆるスポーツで同級生の中でこの二人より出来る者がいなかった。最初は、特に浩一に至っては、変り者の優作にライバル心むき出しで、優作に負けた時は、一日中、機嫌が悪く落ち込む程だった。 優作はと言うとその性格から勝とうが負けようがそんな事はどうでもよい事だった。ただ、やったら出来た。それだけの事だった。 そんな二人が、小学校六年の時に学校でチームを作ってドッジボール大会に出場し、その結果、見事、地区大会を勝ち抜き、県大会で優勝。全国大会に長野県の代表で出場した。結果は、惜しくも準優勝で終わったのだが、この二人の活躍無くしては語れない田舎の小さな小学校の伝説になった程だった。 それから、浩一が、何かにつけて、優作を誘っては、色々な競技の大会に出場するようになり、知らないうちに誰にも心を開かなかった優作は、浩一ワールドの中の一人になっていた。そんな訳で二人の付き合いは、十年以上になるのだ。 「今、何時?」 優作が、浩一に聞いた。 「都会もんは、時計ももってねぇのかよ。」 嫌味を言いながらはめていた腕時計を見ると 「四時十分。」 と答えた。 「さっき、家に帰って手を洗った時、時計外しちゃったんだよ。四時過ぎかぁ。俺、そろそろ帰るわ。敏江叔母さんが、来ると思うから。」 「優作、俺も親父さんに線香あげさせてよ。」 「おぉ。ありがとう。」 二人は、立ち上がると浩一が止めておいた自転車の元へとゆっくり歩いた。 「今日の俺の愛車。まぁ、後ろに乗せてやるよ。優作、この愛車の後ろに乗せるのお前が初めてだぞ。」 「だろうな。中々、この歳になってママチャリの二人乗りなんてしないからな。浩一の自動車どうしたの?」 「今日、車検。代車頼んだのに今、他に貸し出してるから無い。我慢しろって言われてさ。二つ上の白井先輩の家の自動車屋だから俺なんか客と思われてないんだよな。で、家の経トラックは、お袋が、畑に乗っててるしな。何たって、我が家は、レタス収穫最盛期なもので。家中のトラックもバイトが乗って畑に行ってるから俺にはこのお袋のチャリしか無かったって訳よ。」 「それじゃ、さっき、連絡してたら俺の迎え来るなんて話も無理だったじゃん。」 「優作が連絡くれれば車検出すの他の日にしたさ。」 「そっか。それより、大農家の跡取り息子が、最盛期にこんなとこで油を売ってていいのかよ。」 「いい訳ないだろ。でも、優作が帰って来ているって聞いたからすっ飛んで来ちまった。」 「忙しい時にわるかったな。」 「そんな事どうでもいいから、早く、乗れよ。」 「大丈夫かぁ?転ぶなよ。」 「大丈夫に決まってんだろ。俺を誰だと思ってんだよ。」 そんな事を言いながら浩一は、優作が自転車の荷台をまたいで座った事を確認するとよろよろと自転車を漕ぎだした。 「下り坂で良かったぜ。」 二人乗りの自転車は、何とか起動に乗ると風を思い切り受けながら坂道を勢い良く下った。優作の家に着くと家の前に敏江叔母さんの白い軽自動車が止まっていた。優作は、慌ただしく自転車から降りると玄関まで小走りで行き戸を勢いよく開けた。 「おばさん、ごめん。来てたんだね。ちょっと、散歩してた。」 優作には珍しい程の大声を出し家の中に上がった。その後を軽自動車の隣に自転車を停めた浩一もバタバタとついて行く。浩一は、自分で脱いだ靴を振り向きざまに揃え、ついでに脱ぎっぱなしの優作の靴も揃えた。優作のいる居間に行くと優作と敏江叔母さんが、笑いながら話をしていて浩一が 「お邪魔します。」 と言って頭を下げると優作が、直ぐに紹介しようとした。でも、敏江叔母さんは、優作の紹介より早く 「わかるよ。優作のお友達の浩二君でしょ。」 と知ったかぶった。すかさず 「浩一です。」 と浩一が言葉を返すと 「あら、二じゃなくて一だったか。」 と悪びれもせず飄々と言ってのけた。 「さすが優作の叔母さんだな。」 浩一が優作の耳元で囁くと優作は、フンと鼻で笑った。それから、二人は、仏間に置かれた仏壇の前に跪き線香を上げ手を合わせた。線香の白い煙が揺れながら舞い上がる様子を黙って見ていた二人だった。線香特有の香りが鼻先に着く。 「俺、線香の匂いって好きなんだよね。この匂いが苦手って言う人もいるけど、なんかさ、この匂い嗅ぐとご先祖さんに守られてるって思うんだよ。きっと、親父さんが、優作の事守ってくれてんぞ。」 「ふん。浩一の口から出たとは思えないセリフだな。」 「何がだよ。俺、今、良い事言っただろっ?」 「そうだな。守ってくれてんのかな?親父は、何処に行っちまったんだろ。あの世って本当にあんのかな?」 そう言いながら不意に見せた優作の淋し気な顔を浩一は見逃さなかった。 「優作、お前は、一人じゃないからな。何たってこの俺様が、側にいんだから何かあったら直ぐに言えよ。って言うか、親父さんの名前って七男(ななお)って言うの?それとも七男(しちお)?」 位牌に刻まれた名前を見て浩一が言った。 「今、心に突き刺さる言葉聞いてジーンとするかと思いきや、何?その七男(しちお)って。普通、七男(ななお)だろ。」 「人の名前とか地名とか、思いも寄らぬ読み方する事多いんだよ。七番目(ななばんめ)の子供で七男(ななお)って訳か?」 「だな。」 「昔の人ってさ、子供の名前、あんまり考えずにつけてるよな。うちの婆さんさ、兎年に生まれたからうさ子だよ。あっ、後、駄菓子屋の叔母さんの旦那さん、寅年生まれで寅男って言ってたな。ある意味、簡単につけすぎててすげえな。名前に意味も何もあったもんじゃねえよな。」 「うちの親父の兄弟なんて、長男が、長男(おさお)、続いて二郎(じろう)、三郎(さぶろう)、四郎(しろう)、五郎(ごろう)。で、何故か、六番目が敏江(としえ)叔母さん。そして、親父の七男(ななお)。 じいちゃん、どんだけ名前つけんの手ぇ抜いてんだよって感じだろ。」 「え〜。すげえけど、そこまでつけんだったら敏江叔母さんは、六子(むつこ)にして欲しかったな。」 「だな。何で、敏江なんだろう。」 二人のやり取りを隣の部屋でお茶を用意しながら聞いていた敏江が突然、口を挟んだ。 「六番目にやっと出来た可愛い女の子で嬉しくて、おじいちゃんの名前の敏夫の一字と強運を持った徳川二代将軍秀忠の嫁の江(ごう)の字を頂き敏江となりました。」 「お〜!びっくりした。急に叔母さん、話に入ってくるから。」 優作と浩一の背後でした声に驚いて、優作が振り向きながら言うと襖に寄りかかりながら敏江は、腕組みをし笑みを浮かべていた。 「あんた達の会話聞いてると可愛くて。声だけ聴いてるととても、二十五歳の男同士の会話じゃないよ。声変わりしてる小学生だね。つい、笑っちゃったわ。お茶、入ったよ。」 そう言い残すと一瞬で襖の陰に消えた。 「ちっ。人の話聞いてんなよなぁ〜。」 優作が、ブツブツ文句を言いながら立ち上がった。浩一は、もう一度、仏壇の中の七男に手を合わせるとゆっくりと立ち上がり優作の後について隣の部屋に移った。テーブルの上には、コーヒーと粒あんがたっぷり絡まったおはぎが皿の上に二つづつ乗っていた。敏江叔母さんが、手作りした物を持ってきてくれたのだが、それを見るなり優作が、 「なんでおはぎにコーヒーかな?敏江叔母さんのセンス疑うよな。おはぎには、緑茶だろ。なぁ〜。」 優作は、同調を求めるかのように浩一を見て言った。だが、浩一は、つい今しがたの様に敏江が何処かで二人の会話を聞いて口を挟んで来ないかと思うとうっかり返事をする訳にはいかず黙って用意されたコーヒーとおはぎの前に慣れない正座をした。コーヒーカップからは、白い湯気が立ち上り入れたての良い香りを二人の鼻先に運んでいる。 「お〜。コーヒーの匂いっていいよな。この匂いたまんなく好き。これ、インスタントじゃないだろ。」 浩一が、コーヒーカップを手に取り飲む前に香りをかぎながら言うと 「ツーでも無いのにコーヒーツーみたいな事言うんだな。でも、浩一にも分かるんだ。インスタントじゃないって。親父が、あ~見えてコーヒー好きでさ、コーヒーメーカーあるんだよ。こんなうちでも。それより、お前も線香の匂いが好きだったりコーヒーの匂いが好きだったり好きな匂いいっぱいあんだな。」 優作は、おはぎをフォークで一口にちぎるとそれを口に運んだ。 「うまっ。敏江叔母さんのおはぎうまいんだよな。」 それから、コーヒーを一口啜った。 「あう。おはぎとコーヒーめちゃくちゃあう。浩一、おはぎ食べて、コーヒー飲んでみな。すげぇ〜うめぇ。」 「言われなくても食べるし飲むさ。おはぎには緑茶だろ。敏江叔母さんのセンス疑うとか言ったのにな。」 優作は、浩一の言葉を無視し、モクモクとおはぎを食べては、コーヒーを啜った。食べている時は、二人とも静かで開けてある窓の向こうで近所の子供たちがはしゃぐ声が聞こえた。おはぎを食べ終えた浩一が、その声に反応した。 「子供の声って無邪気で良いな。俺らもあんなだったのかな。ってか、優作は、あんなじゃなかったな。俺の記憶で言うとお前は、冷めた子供だったよ。運動出来て、勉強出来て絵も字も上手くて、でも、得意気になる訳でも無く、先生に褒められても喜ぶ訳でも無く。それより何より、清(きよ)秀(ひで)達にいじめに遭ってただろ?結構、酷い事されてただろ。靴の中に画びょう入れられてたり、給食袋の中にカエルの死骸入れられてた事もあったろ。上履き隠されるなんて日常茶飯事で、下履きが、池に浮いてた事もあったよな。でも、お前は、一瞬履いた靴の中から何食わぬ顔で画びょう取り出して、また、普通に靴履いて、カエルの死骸は、花壇の隅に埋めてたよな。上履きが無ければ、平気で裸足でいた。池から拾い出した靴は、中に入った水捨てて濡れたままの靴履いて帰って行った。悲しいとか悔しいとか嬉しいとか楽しいとか、優作って感情表さなかったよな。ドッジボール大会全国大会の決勝で負けた時も俺が悔しくて号泣してるのにお前、とっとと帰る支度してて、そん時は、何だよ、こいつって思った。でも、俺、今日、思ったんだけど敏江叔母さんには、感情出すんだなって。何気に文句言ってる。俺が、家でお袋に言ってるみたいな事。」 「そうかぁ?考えた事も無いけどな。」 「でも、優作が、一度だけ切れた事あったじゃん。俺、あの出来事鮮明に覚えている。卒業式の日。教室で最後のホームルームで先生が、教室の後ろに立ってた親に順番に子供へ一言ってなったじゃん。みんなの親が、背中がゾクゾク寒くなる言葉並べて涙流している中でお前の親父さんの番になって、少しの間、沈黙で、どうしたんだろう?って思った時に絞り出すように‶おめでとう。〟って言ったんだよな。たった一言。その事を校門の前にいた清秀達が、お前と親父さんが、帰る背中に親父さんの真似して、笑ったんだよな。そん時、お前、走って引き返してきてバンバンって、清秀と治夫(はるお)と雄(ゆう)二(じ)の三人、殴り飛ばしたんだよな。直ぐに親父さんが止めに入って、お前は手を引かれて帰って行った。あの時のお前の後ろ姿が、すげえ、カッコ良かった。本当に強い男に見えたよ。自分が、何をされても相手にしなかった清秀達を親父さんの事言われて切れたお前こそ、真の男と思ったよ。あの後の清秀達の驚いた顔、見せたかった。ちんやり落ち込んで無言で帰って行った。見ていた連中もざまあみろって思ってたさ。あれ以来、優作への嫌がらせとか、無くなったんじゃないか?」 「美談だな。ただ、六年間のうっ憤を最後にはらしただけさ。でもまあ、中学行ってからは、俺にかかわって来なくなった事は、事実だな。でも、浩一だって、いつも、あいつらに俺の事かばってくれてただろ。あんまり、効果無かったけどな。」 「あっ!そう言う言い方する?俺が、色々言ったから清秀達もあのくらいのいじめですんだんだろ。てか、正直、俺より陽子(ようこ)だな。陽子って、見た目は、まあ、普通ってとこだけど、中身は、いい女だと思ったね。正義感は、女にしておくには勿体ないくらい強かった。清秀達が、お前になんかした事知った時なんてえらい剣幕でまくしたててた。俺、陽子は、優作の事好きなんだな。って思ってたほどさ。」 「まさか。陽子の家は、母子家庭でうちが、父子家庭。環境が似てたから何かと陽子が心配してくれたんだよ。」 「いやいや、鈍感なお前が、女心わかってなかっただけじゃ無いの?」 浩一が、優作をひやかした。陽子は、二人の保育園からの同級生で中学を卒業するまで三人は、ずっと同じクラスだった。陽子の家庭は父親陽子が幼い時に病気で亡くなり、それ以来、食堂を切り盛りする母親と二人の生活。元気で明るくクラスのリーダー的存在で中学三年の時は、優作たちの通う中学校初の女子生徒会長をするほどのしっかり者で陽子には、さすがの男子も逆らう事が無かった程だった。 「陽子って、看護学校出た後、東京の何処の病院にいるの?俺、成人式でみんなと会った時以来、陽子に全然連絡取ってないんだけど。優作は、向こうにいるんだから連絡くらい取ってんだろ?」 「ああ。時々連絡取って飯食いに行ったりな。日本癌センターで看護師の仕事頑張ってるよ。親父さんを癌で亡くしてるから同じ病気の人の力になりたいって言ってた。」 「さすが、陽子らしいな。陽子のお母さんも再婚したんだよな。店も閉めちゃったしな。」 二人が、陽子の話で盛り上がっていると台所から鼻を啜る音とかすかにすすり泣く声が聞こえた。優作と浩一は、目を見合わせ首を傾げた。優作が、立ち上がり台所に行くと夕飯の用意をしている敏江の背中が小刻みに震えていた。 「おばさん、どうしたの?」 優作が声を掛けると敏江は、エプロンの裾で顔を隠し振り向くとしゃくりあげながら 「優作、いじめにあってたんだね。おばさん何も知らなかった。可哀想だったね。ごめんね。本当にごめんね。おばさん、気付いてあげられなかった。父さんは、知っていたの?あなたが辛い目にあっていた事。」 敏江の泣き顔に優作は、一瞬、気持ちが引くのがわかった。 「おばさん、今、泣く話じゃないじゃん。子供の頃の思い出話してたんだよ。何もかもが思い出の過去の話だよ。もう、勘弁してよ。浩一、いるのにさぁ。」 優作が、半分呆れたように言い、浩一を見た。その浩一が、‶しまった〟と言うような顔をしてみせた。何処かで敏江に話を聞かれているのでは無いかと気を使っていたつもりだった。それが、うっかりしたと思った。シクシク泣きじゃくる敏江を冷めた目で見つめる優作。これが、彼女とか若い女の子なら泣きじゃくる姿を可愛いと思い胸もキュンキュンするとこなのかもしれないが、何故だろう?六十過ぎの女の涙は、ドン引くし、イラつく。感情を表さないさすがの優作も腕組みをし仁王立ちで只々呆れるばかりだった。流れの悪い空気感、居ずらくなった浩一は 「俺、用事あるから、これで帰るよ。なんか、わりぃ。優作、東京に戻る時は、俺が、駅まで送るから連絡よこせよな。」 右手で電話をする仕草をしながらあたふたと靴を履くと帰って行った。その後は、優作が、必死でイラつく感情を抑え敏江をなだめると何とか泣き止んだ敏江は、夕飯の支度の続きを再開した。敏江は、優作の好物のポテトサラダと豚肉の生姜焼き、それから、自分で大根を細く切り干した敏江お手製の切り干し大根の煮つけと自慢のぬか床で漬けたキュウリと茄子の漬物をテーブルに並べた。その後、瓶ビールを一本冷蔵庫から取り出すと優作の座るテーブルの前にグラスと栓抜きと一緒に置いた。 「ありがとう。」 ぎこちなく答えると優作は、ビールの栓を抜き手酌でグラスに注いだ。冷えたビールのトクトクと言う音が、優作の耳に心地良く響きグラスの表面には、細かな白い泡が広がった。 「いただきます。」 まだ、台所で何かしている敏江に聞こえる様に言うとグビグビと喉を鳴らしてグラスのビールを飲み干した。 「うめぇ〜。」 と自然に声がでる。それから、もう一度、空になったグラスにビールを注ぎながら 「おばさん、もう、何もいらないから座ってよ。」 と声を掛けた。敏江が、お盆の上に自分のご飯とお茶を乗せて優作の前に正座をした。テーブルの上に用意してあった箸を手にすると 「いただきます。あなたは、飲んでいるからご飯は、後でいいわよね。」 と言いフワフワと白い湯気の出るご飯を一口口に運んだ。 「炊き立てのご飯は、美味しい。」 独り言の様に呟いた。その後は、お互い何も語らず妙な静寂感が漂う。その空気がたまらなく気まずいと感じた優作は、話を見つけようと頭の中で話題を考えていた。 「おじさんは、今夜、家で一人?」 何とか思いついた会話を口にした。 「智子(ともこ)が、家族で夕ご飯食べに来てるから。向こうは向こうで賑やかにやってると思うわ。」 智子は、敏江の一人娘で、近くに嫁に行って子供が、三人いる。優作にとったら従姉になるのだが、もう、何年も会っていない。七男の葬式も三人目を産んだばかりとかで来られなかった。 「明日の法事に智子も来るって言ったんだけど、なにせ、ちびたちが賑やかでね、を通り越して、うるさいのよ。三番目は、二カ月経ってないから気を使うし、だからね、落ち着いたらお墓参りに行けばって言ったのよ。」 敏江は、箸を置く事無くテーブルに並べた惣菜を取り皿に取りながら言った。 「智子(ともこ)姉(ねえ)にも久々、会いたかったな。」 優作が、独り言の様に呟いた。 「智子も優作に会いたがっていたわよ。一人になっちゃって淋しい思いしてるんじゃないかって気に掛けてた。」 「ふん。子供じゃないんだから大丈夫さ。」 「あなたも早く結婚すれば良いんじゃない?誰か良い人いないの?」 「いない。今、仕事が忙しくてそれどころじゃない。」 「それどころじゃない。って、‶それ〟が大事なのよ。そんな事言ってると婚期を逃しちゃうわよ。男はね、押しが大事よ。押しが。」 優作は、敏江の心配を余計な事と思った。こんな時、母親にだったら‶うるせぇ!俺にかまうな。〟とでも口答えをしているのだろうが、さすがに叔母にそれは言えなかった。 「明日、お寺さん、何時に来てくれるの?」 優作は、話を逸らした。 「十時にお願いしてあるから。私達も九時には、来るわね。御経上げてもらって、その後、納骨。」 「わかった。」  二人は、一時間程の夕食を済ませ、敏江は、立ち上がると後片付けを始めた。 「叔母さん、洗い物は、俺がやるからいいよ。遅くなったらおじさん、心配するだろうからもう、帰ってよ。俺は、もう少し、飲んでるから。」 柱に掛かった時計を見ると七時になる所だった。いつもなら、まだ仕事をしている時間だ。田舎の夕食時間は、早い。 「そう?でも、これだけ、片付けて行くわ。」 敏江は、そう言うと自分で食べ終えた食器と優作のつまみの空いた器を台所に下げ、手早に洗い物を片付けた。 「ご飯、優作の分も炊いてあるんだからちゃんと食べてよ。みそ汁は、温めなおして。」 「わかった。ありがとう。」
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