3人が本棚に入れています
本棚に追加
鴨川、ヘタな弾き語りのラヴィンユー
焼肉屋を出た頃にはすっかり暗くなっていた。
歩行者しかいない通りには葉のない楓の木が並び、白くて綺麗な背の低い建物たちにはどれも、クリスマスの電飾が施されている。
店の前の小さな広場には、私たちと同じ学生のグループや若い恋人が白い息を吐きながらお喋りしていて、つい忘れそうになる。不安でしかないこれからのことを。
「なんかディズニーランドみたい」
アコちゃんが空を仰ぐ。コートからは焼肉のにおいがする。
「ここ京都やけど」
たっちゃんは笑って、大きなバックパックを背負いなおした。
空は黒く、風を巻き上げて鳴る。星はない。
都会の空だ、と思う。私の住む町よりも、私たちの通う大学のある町よりも、ずっと都会。だけど。
「卒論どうだって?先生」
先に歩き出した二人の背を見送りながら、なぜかなかなか動こうとしない君の隣で、私も動けない。枯葉色のダッフルコート。その肩をじっと見つめて、動けない。
「大丈夫だって。このままいきましょう、って」
そっか。
君は言って、ちらりと私を見る。寒空の下、いつもよりは肌が綺麗だと思う私を。でもだから?どうにもならない。
「俺はフラれるかもしれんよ」
なにが?と言いかけてやめる。
ふさわしい声音を出せるか怖かったから。期待してしまった自分が嫌になったから。君が彼女と別れることを、淡く、本心では強く、期待している自分。
「ダメだしされた?」
慎重に声を出したこと、別のことを期待したこと。それを悟られないように言って君を見て、もう君の茶髪は見られないのかと、なぜか急にそんなことを思う。
出会った頃の君は髪を茶色く染めていた。この四年で、濃い茶色になったり金色に近くなったり色々して、だけどどれも似合っていたよ。
君の髪が真っ黒になった時、私たちはもう大学生じゃなくなるんだと、そんな当たり前のことを強く理解して泣きそうになったよ。
「違う違う、卒論じゃなくて」
枯葉色のコートを、私がお洒落だって言ったら君は嬉しそうに笑ってた。好きな色だったから買っちゃったって。
ふざけてヘンなことをしている時とも、酔っ払っている時とも、意地悪なことを言う時とも違う、可愛い顔で笑ったから私は嬉しかった。すごく得をした気がしたの。私だけが見た気がしたから。
「美樹ちゃんはさあ、大企業に勤める年収ウェーイな男の嫁になりたいんだとさ」
ヌフッて、おどけて君は笑うけど、私はダメだった。
「そんな」
怒りに任せて言いそうになる。
そんな女、って。そんなクソバカ女、別れなよって。
踏ん張って、なんとか踏みとどまって、言葉を飲み込んで、だけど代わりに泣きそうになって、一生懸命、君を真似してヌフッて笑う。
「元カレはいいとこから内定もらったんだって」
私は空を見上げる。冷たい空気はピタリと動かずここにあって、だけど空では風が鳴る。
どこかから、誰かの弾き語りが聞こえている。
学生たちが笑い声を上げ、カップルがくっついている。
アコちゃんとたっちゃんが、何かの店を覗いているのが見える。
「まあでも、俺は結婚願望ゼロだから。結婚したいって言われても困っちゃうんだけどね」
「そうだね、知ってる」
答えて、どうして、私は君の肩に頭を乗っけることすらできないのと思う。君のこと、君の良いとこ悪いとこ、なんにも知らない美樹ちゃんはそれができるのに、どうして私はできないの、って。
「さみーなあ。手、繋ごうか」
君が言って、左手を差し出す。
大きな手がすぐそこにある。それだけで私は、泣きそうになる。
「繋がねーよ、バーカ」
差し出された君の左手を、私の右手が叩く。
一瞬だけ触れた君の手の、感触を、どうか、忘れませんように。馬鹿な私を、どうか、どうにかして欲しい。
君が東京に行ってしまう。この空よりも都会の空があるところに行ってしまう。もう髪を、好きな色にはできない君が、遠くに行ってしまう。
最初のコメントを投稿しよう!