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多いのか少ないのか
「ねえ、多少って多いの?少ないの?」
「さあ。少ないんじゃね」
「じゃあ多少の可能性っていうのはもはや絶望的ってこと?」
「俺ならその可能性、ひっくり返して見せるけどな」
世の中には矛盾した言葉が多くありすぎている。
"多少"もその一つだ。対義語で構成されており、意味が分かりづらい。
"強弱"や"因果"ならわかる。並列だ。つまり「強と弱」。「強弱をつける」というのは「強いと弱い」を使い分けるという意味だ。
しかし「多少」は分からない。「多いと少ない」では通用しない。
この前行ったメガネ店でフレームに傷がついていることを指摘したら「そういうことも多少はあります」なんて言われて、それはよくあることなのか、めったにないことなのか分からなかった。
私ははっきりさせたい。
言葉とはその事象や情景を的確に描写するためのツールなのに、その言葉に曖昧性があると表現にブレが生まれてしまう、と思うのだ。
「と思うのよ」
「いつもお前は生きにくそうだな」
その話を彼にすると、彼は毎度のごとく何も考えていないように返してくる。
「なにそれ」
「そんなに深く考える必要はねーってことよ」
そして最後もいつものように、軽い笑みで言うのだった。
「曖昧って生きやすいぜ」
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