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人間が人影と入れ替わった、その事態に彼を苛立たせるようなことがあったのだろうか。
考えるまでもなく――あった。
黒時の感情が激しく揺さぶられる部分に、この事態は触れていたのだ。
彼の唯一の楽しみ、それは人間の本質を見ること。
即ち、人間が存在して初めて成り立つものなのである。
人間が人影と入れ替わった。人間がいなくなり、人影が現れた。
――人間がいない。
これでは、人間が存在している事を前提とした黒時の唯一の楽しみが成り立たなくなってしまうのである。
普段笑わない彼を楽しませ、笑わせるものがなくなってしまうということなのである。
楽しみもなく笑えない人生。これ以上に辛いものは、この世の中に存在していないだろう。
黒時はもう一度、舌打ちをした。
人間がいなくなったこの世界、なんと面白くない世界だろうか。
一生このまま人影が人間の代わりをするのならば、これから一生人間の本質を見ることが出来ない。
黒時はそう思うと、舌打ちをした後に大きく嘆息した。
ため息をついたところで現状が変わるわけもなく、人影たちは初めからそこにいたかのように歩き続けている。
黒時はスクランブル交差点のど真ん中に立ち、行き交う人影の内の一体を小突いてみた。
少々強めである。
俺の楽しみを奪うな、とそう言いたげな小突き方である。
小突いてみた結果、硬かった。岩を殴ったかと思うほどに、硬かった。黒時自身、岩を殴った事はないのだが。
首を大きく落とし、もう一度ため息をつく。そして、脳裏によぎる。楽しみがないのなら、生きていてもしょうがない、と。
その瞬間――
『お前に新たな世界を託そう』
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