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感情をむき出しにする弟を見ていると疲労感が増す。アベルはいつもそうだ。
父や母、アンだけでなく、使用人や学友たちの前では明朗快活にふるまっているが、カインの前では違っていた。二人になると途端に豹変するのだ。
これがアベルの本性だ。わがままで、傲慢で、己の利益に知恵が回る。自分勝手な本当の自分をさらけ出し、こうしていつも兄だけに激情をぶつけてくる。
そんな弟をなだめる気など起こるはずもない。
カインは手の平で両耳をきつく押さえたがアベルによって強引に引きはがされた。
「聞けよ!」
まるで鏡を見ている錯覚に陥るほど、同じ顔が迫る。だがその表情は、自分のものではない歪んだ笑み――。
自分のものではない、と思いながらも自分の内面の奥底にはこういった卑しさがあると突き付けられているようで、カインはアベルの顔を見るのが何よりも不快だった。
手首に痛みが走る。カインの両腕をきつく掴むアベルの手には行き場のない憤りが込められていた。
「……ねえ。兄さん。神様にお願いしてよ」
アベルは法外な提案をした。
「そうだよ。神様がいるじゃないか。毎日祈ってるんだろう? 神は人々を救ってくれるんだろう? ねぇ、カイン兄さん。頼むよ。僕は旅に出たくないんだ」
「……アベル。お前の気持ちもわかるけど、神様はこんな僕らのちっぽけなお願いを聞き入れる存在じゃない。一人一人の小さな悩みを聞いていたら何人いたって足らないよ。神様は唯一無二、一人しかいないんだから」
アベルの手を逃れ、朱が差すほどきつく握られた手首をさする。
痛みで顔をしかめるカインに、アベルは冷やかで嘲るような笑みをつくった。
「……ふうん。一人一人の小さな悩みもどうにかできないんじゃ、神様って何ができるんだろうね?」
「……口を慎めよ。罰が下るぞ。神は我々の豊穣や平和のために勤めて下さっているんだ」
「じゃあ、日照りや戦争はなぜ起こるの?」
「……それは……試練だよ。アベル、いい加減にしろ」
「平気だよ。神様はこんなちっぽけな僕の戯言なんて気に留める存在じゃないんだろ?」
カインの言葉を逆手に取るように、台詞じみた言い回しをしながら、アベルはどさっとベッドに腰かけて足を組み、「それにね、」と人差し指を立てた。
「この悩みは決してちっぽけなものじゃない。カイン。考えてみてよ。そもそもなんで世界を脅かす魔王の封印を人間が守り続けなきゃならない? それこそ、神様がやってくれてもいいじゃないか。いや、封印と言わず、消し去ってくれればいい。世界の存続にかかわる大きな願いだ。このことを神様に願うのは不遜かなぁ?」
アベルには信仰心など皆無だ。その品の無い薄ら笑いが物語っていた。
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