第五章

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(人間はあわれだ) (人間はひとりだ) (人間は虚しい生き物だ)  呟きが泡になり、水中に溶けていく。 (おまえたちは違うのか?)  セリは問うた。  稚児の半透明の身体は、水中では見えにくい。 (われわれは大勢だ)  声が幾重にも重なった。稚児は、びっしりと湖を埋め尽くしていた。 (われわれは陸にあがれなかっただがさびしくはない湖のなかで溶けたり凝固したりして常に身体と心を混ぜあっているからだ人間はどうだ生まれてから死ぬまでたったひとつの身体しかもこころはひとつの身体に閉じ込められ外に出ることはできない「じぶん」は決して「たにん」の心がわからないなんというおそろしいことだなんという無間の孤独だ)  稚児の声が全方位からわんわんと共鳴し、セリは押しつぶされそうになった。  人間が、他人の心がわからないから孤独だって? おまえらが、いつも溶けて混ざってまた分離しているからさびしくないって? ふざけるな! 自分以外のことが決してわからないからこそ、人間の想像力は果てしなく発達したのだ。他人を思いやるために。他人をいつくしむために。他人の苦しみをわがこととするために。  セリは無性に腹が立った。湖の中なのに、感情を波立たせても呼吸が苦しくならないことには気がつかなかった。  そのとき、どこからか旋律のようなものがかすかに聞こえてきた。  セリは耳をすませた。  これは、潜人の喉歌だ。  心地よい中低音の、よく響く、優しい振動。  潜水隊が使う、意味を伝えるためだけの記号文ではない。  片恋の切なさを歌う、流行おくれの歌謡曲だ。その旋律はゆるやかに、途切れることなく湖中をただよい、はるかな距離を隔てて伝わってくる。  セリは満たされた。  聴け、稚児たちよ。これでも人間は孤独なのか?
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