第五章

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 歌声が聞こえた。 「そなたの恋人が歌っている」 「恋人じゃない」 「さあ、向こうがそう思っているかどうか」貝爺は楽しそうだ。「何の歌だ?」  セリは知っていたが答えず、別のことを言った。 「あいつが……勤務時間外に、単独潜水を?」 「帰りたくなったか」貝爺はたずねた。  セリは長いこと思案していた。いや、思案するふりをしていた。無駄なことだとわかってはいた。水の中では心を隠すことはできない。  貝爺は気長に待っていた。 「……そうですね」セリはようやく言った。「あなたはどうします」 「わしはもう、戻っても仕方ない。わしが戻ったのは、そなたをここへ呼ぶためだった。その役目は果たした」 「ハシとラキは?」 「二人とも、わしがいなくても立派にやっていける」 「そうですか……」  セリはしんみりした。 「あたしは、弟を探しに来たと思っていた。だけど、はっきり思い出したんです。あたしには弟なんかいない。あなたがそう思わせたのですか? あのとき、水の中で」 「違う。それは、そなたが作り出した偶像だ。わしは、いや、わしらはただ、そなたにここに来て欲しいと思った。水の中ではすべての時間が同時に存在する。そなたが水の中でわしらの召喚の願いに触れたとき、自分自身への動機付けとして未来の事象を利用したとしても不思議ではない」  セリはすぐに思い当たった。 「……レン」  彼に出会うという未来の記憶が、自分を最果ての地まで呼び寄せたのだ。そう思うと不思議にあたたかい気持ちになった。 「なぜ稚児たちは、水神の形を作ったりしたのです?」 「わしらが陸の上の仲間を呼ぼうとすると、稚児が嫉妬して、邪魔をするのだ」 「嫉妬?」 「彼らは陸に上がれなかったからな」
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