第五章

15/15
前へ
/122ページ
次へ
 たくさん泣いたあとの鼻の奥の痛みは、湖の水を飲んでしまったときの痛みと同じだ。  セリは渇えていた。  やっとわかった。  この湖ではない。  ここは、つかのまのゆりかご。  この水はぬるい。あたたまってしまった身体を冷やす、冷たい水が必要だ。その水で、あたしは目覚めることができる。  地上の様子は、手にとるようにわかった。  ひとりの若者と、二人の男女の子どもが旅をしている。なにかに追いたてられるように、せっぱ詰まった様子で。若者と少女が同じ馬に乗り、少年はひとりで手綱を取っているが、馬に乗ったことがないらしく、うまく操れずなかなか前に進むことができない。  三人は若者の故郷の街に着き、生活をはじめる。若者はもとの仕事にもどるが、いくつものあやうい手続きを踏まなくてはならない。  歌を返さなくては。  だが、彼女にはまだ声帯がなかった。  彼女ははじめて知った。  愛を受けながら、愛を返せないことのもどかしさを。  泣きたくても、涙が出ない苦しさを。  涙は、うれし涙だった。  あたしには、帰る場所がある。  セリは漂いながら、形を成していく自分自身の身体を見ていた。  そして、あることに気がついた。  いつか聞いた言葉。  そういうことだったのか。  来た時と同じ姿では戻れない。  失うのではなく得る。  生命の中の生命。
/122ページ

最初のコメントを投稿しよう!

161人が本棚に入れています
本棚に追加