第六章

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第六章

 夜明け前。街はまだ眠っている。  ひとりの少年が、白い息を吐きながら、湖岸へ向かって走っていた。肌の色の濃さで、南の地方の出身であることがわかる。  初めての都の冬が、もうそろそろ終わろうとしている。  彼はいまから約一年前、故郷の邑で、自分が「湖に愛された」人間であることを知った。そしてある人と、潜水学校の巡回試験を受ける約束を交わした。  だが、その後邑で起きた一連の事件によって、巡回試験を受けることはできなくなった。当分邑には戻れない事情が生じたのだ。だが幸い、彼の行き先は都であった。都ならば、三ヶ月ごとに本隊で行われる試験を受ければいい。  都に来た当初、彼の生活は貧しかった。潜水隊の付属学校に入れば、授業料が免除される上に、二年目からはわずかであるが給金も貰える。彼の選択に迷いはなかった。  そしていま、彼――レンは、晴れて潜水学校の生徒になっていた。正式な給金はまだ出ないが、学校がいろいろな臨時雇いの仕事を斡旋してくれるので、生活も少しずつではあるが楽になっていた。  一緒に暮らしているシザは、無口で真面目一方の男だが、余計なことを言わない分、気楽ではある。彼がもとからこういう人間だったのか、それとも、あの事件を境に変わってしまったのか、レンには最初わからなかった。  シザは、レンの故郷の邑で勤務時間外の潜水を行い、一般人(レン)の人命を危険にさらし、一名の行方不明者(セリ)の失踪に関わっている疑いがあるということで、査問会にかけられた。シザがすべてを包み隠さず報告したためにそうなったのだが、これはいずれハシの被害届に対する司法庁の調査結果が出れば、そちらから伝わってくることなので、言い逃れはできないのだった。  シザの復職には予想以上の時間がかかった。それまで彼は草履を作って辻で売り、よく売れた日には、これから草履売りで身を立てるつもりだと冗談とも本気ともつかないことを言った。  レンにはまだ、潜人なのに潜ることができないことに起因する喪失感や疎外感がどんなものかわからなかった。両手を折られた画家、雑踏の中で子どもの手を離してしまった母親、祭りの日に自分だけ菓子をもらえなかった子ども、いろいろ考えてみたが、どれも違う気がした。
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