第六章

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 遠目には平らに見える岩場も、実際に歩くとけっこう起伏が激しい。すり鉢状のくぼみに入ると、いっとき湖が見えなくなる。そこから最後の登りを登ろうとしたとき、ふとレンの足が止まった。  確かに、名前を呼ばれたような気がする。湖の方向だ。レンは急いで岩を登った。  ぷん、と潮の香りが鼻をつく。  ざあっ、という遠い波の音と、ちゃぽ、ちゃぽ、というすぐ近くの波の音。  まだ空は白みはじめていない。星明かりを頼りに、レンは湖岸沿いに目を凝らした。  左手の、直角に落ちる岩の縁で、何かが動いている。  もっとよく見た。  人の腕のように見える。大きく左右に振れている。  レンはそれを見失わないように、かつ足場に気をつけながら、慎重に近づいた。  腕の根元に顔がある、とわかったとき、その顔から、今度ははっきり言葉が聞こえた。 「よかったあ。気づいてくれないんじゃないかと思ったよ」  その声を聞いた瞬間、レンは、ひざが勝手にかくんと折れるのを感じた。そして、自分の声がこう言うのを聞いた。 「セリ」  平らな岩の上に、白い両腕をぺたりと伸ばしたセリは、健康そのものの顔つきで笑っている。 「おいおい、そこで腰をぬかしちゃ困るんだ。何か着るものを持ってきてほしいんだよ。この格好じゃ出て行けないし、なにより寒くてたまらない。こんなに寒いとは思わなかった」  そして、おおげさに歯をガチガチ鳴らしてみせる。  レンは駆け寄って行きたいが、どうしても足に力が入らない。仕方なしに、手とひざを使って這っていった。きっとものすごく無様な格好だろうが、そんなことには構っていられない。 「セリ、本当にセリなの?」 「莫迦、あまり近寄るな」 「どうして」 「見りゃわかるだろ。あたしは構わないけど、おまえの嫁になんて説明するんだ」 「あ」
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