第三章

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「本当に、協力してくれるのか?」  セリはまだ信じられない気持ちだった。絵に描いたような融通の利かない堅物の役人だと思っていたシザが、こんな流しの潜人の真似事をするなど想像もつかないことだった。  ふたりは向かい合って、鎧の稼動部に油を差す作業をしていた。 「協力しなければ、きみはひとりでやるんだろう」 「もちろん、そうだ」 「私の目的は、きみを連れ帰ることだ。完全な状態でな」 「それは……単独潜水をすると『湖に還る』かもしれないからっていうことか」 「比喩的表現を使えばそうなる。正確には『酸素欠乏に起因する譫妄状態での失踪』だ」  セリの脳裏に、昨日の作業の最後に見た光景がまざまざとよみがえってきた。沖合いで手招きする何者か。あれは、湖に還る者が見るというまぼろしではなかったか。 「どうした?」 「いや……なんでもない。シザ」 「なんだ」 「湖に還る人間って、どれくらいいるんだ?」 「わからない。そんな数字は公表されていない」 「潜水隊の中では?」 「それもわからない。上層部では把握しているのだろうが」 「あたしが隊にいるあいだに、知っているだけで三人消えた」 「だから、どうしたというんだ。それだけ、我々の仕事が常に危険と背中合わせだということだ。……セリ、何かあったのか」  シザは、作業手の付け根に油を指す手を止めて、セリを見た。 「体調が優れないなら……」 「そうじゃない。ハシの、お父さんのことを考えていたんだ」  セリは問題をすりかえた。 「ああ、洞窟に暮らすという老人のことか」  シザは、隣室にいるハシを気遣ってか、普段よりさらに小声になった。 「彼は、モドリらしい」  セリも声をひそめた。 「何だって?」 「モドリを知らないのか」 「くだらない噂話なら知っているぞ」 「本当に噂だけなのか? 実際にそういうことがあるから、話が広まるんじゃないのか」 「そういうこととはどういうことだ? 湖の底で鰓呼吸をして、湖水だけを飲んで何年も生きるということか? ばかばかしい」 「でも、現に彼は……」
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