第三章

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「私がきみから、彼女が弟を捜していると言っているという情報を得たことと、それに対して私がきみに、彼女に弟はいないという情報を与えたことだ」 「それは、ええと、つまり、『聞かなかったことにする』っていうことですか?」 「そうだ。おたがいにな」 「でも、どうして?」 「あとで話す。明日のカタライが無事に終わったらな」  シザの言葉は、無事に終わらない可能性が確実に存在することを、方程式のように示唆していた。  そういえば、セリにもそういうところがあるとレンは思った。自分の命までも数式化し、すべてを確率論で思考する冷たい頭脳。これが潜人という人種なのか。 「シザさんは、セリのことが好きなんですか?」  レンは唐突に尋ねた。潜人がその類の感情をどのように扱っているのか、急に知りたくなったのだ。人間らしい感情を保っていてほしいという願いもあった。  シザは相変わらず無表情で、じろりとレンをにらんだ。 「上司として、部下のことを気にかけているだけだ。もし、私がそれ以上の感情を持っているように見えるとしたら、それは我々の精神のありようかもしれない。地上ではどんなにいがみ合っていたとしても、湖に入ればそんなことは関係ない。湖ではあらゆる感情を封じるように訓練されている。結束と協力は我々の属性なのだ」  そして、煙管をはさんでいる二本の指を支点に、吸い口を親指ではじくように上下させた。癖らしい。 「感情を封じる……湖の中では、笑うことも泣くこともないってことですか」 「感情の乱れは呼吸の乱れにつながる。呼吸が乱れれば歌うこともできなくなる」 「歌?」 「我々の湖中での伝達手段だ。手話もあるが、あくまで補助的なものでしかない。見通しが利かないことのほうが多いからな。ほとんどの場合は歌によって意思疎通をはかっている」 「湖の中でどうやって歌うんですか?」  シザは自分の喉仏を指さした。 「特殊な発声法でね。息を吸い込まずに、このあたりで空気を循環させて声帯を震わすんだ」
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