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第3記「巨神」
朝が来た。枕辺の時計は「6時45分」を示していた。昨日に比べると、寒さも緩んだ気がする。比較的すんなりと布団から出られた。当初の予定では、今日は知友と会う筈であった。だが、先方の都合で中止になった。ボコンと空いてしまった一日を、どう使えば良いだろうか…などという迷いとは俺は無縁である。ダサクの続きを書けば良いのだ。
創作の前にベランダの物干し台に衣類や布団を干した。作業を始めると、それ以外のことは何もできなくなってしまうからである。数頁をまとめて書く際は、音楽(CD)も聴かないし、ラジオも聴かない。コーヒーぐらいは飲むが、それすらも忘れて、没頭している時がある。
草小説は楽しい遊びだが、真剣に遊ぼうと思えば、自然とそうなる。又、真剣に遊べない者は、仕事の方も中途半端になりがちだ。両者は「振り子の関係」にあるからである。
計算していたわけではないが、現在取り組んでいる第6章は会話中心の内容になっている。最も苦手としている分野だ。前半は三人芝居、後半は二人芝居が二つ続いた。前者は無頼同士の会話なので、比較的楽である。自分でも驚くほどに「役に入る」ことができた。
大変なのは後者である。英雄豪傑が何を考え、何を喋るのか、いまだによくわからない。俺はスーツアクターのインタビューを、聴いたり、読んだりするのが大好きだが、ウルトラマンにしろ、大魔神にしろ、着ぐるみ(※業界では「縫いぐるみ」と呼ばれている)を着ている俳優さんは、演じるキャラクターに「成り切る」そうである。なるほど。当然だよね。じゃないと、演技ができないし、迫力も出ない。
ウルトラマンも大魔神も「空前の大役」と云えるわけだが、卓越した表現力に加えて、体力と忍耐力が必要な重労働でもある。俺も一回着てみたい…と、考えていたが、そんなに甘い仕事ではないのだ。
着ぐるみデビューは冗談として、俺もヒーローを書く際は、古谷敏さんや橋本力さんみたいに「役に成り切って」書きたいと思う。池波(正太郎)エッセイから得た知識だが、小説に「役者の才能」が求められるのは確かなことである。池波先生も、鬼平を書く時は鬼平に、信長を書く時は信長に「成っていた」そうだ。〔14年12月28日〕
♞当時の俺は「振り子の関係」に凝っていた。日常会話の中でも使っていた記憶がある。ああ、文章の無駄を削りたい。でも、我慢。
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