地球最後の日

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 会場には白装束の人間たちが集まっている。彼らはピリピリして苛立っているようにも見える。それも当然のことだ。ここはある宗教の教会で今日世界が破滅するという予言がなされた日なのだ。その予言された日は後一時間で終わる。それなのに一向に世界が終わる気配がないというのだから信者たちの間には騙されたのではないかという疑念が渦巻いているのだった。 「いつになったらペテテロパス様が現れるのですか」 「もうすぐです」 「そうですか」  若い信者が教祖に質問をする。その目は疑わしいものでも見ているような目つきだ。しかしそれにも関わらず教祖の田中は平然とした面持ちをして、まるでもうすぐ本当に世界が終わるかのような態度を取っている。  そのあまりに自然な態度に若い信者はそれ以上は何も言えずにただ立ち去った。そして仲間の所に行き、何かをヒソヒソ言っている。  その様子を眺めながら田中は周りの人間に気が付かれないように静かに深く息を吐く。  よかった。嘘がバレなかったようだ。  平然とした態度を装っているが田中の心臓の鼓動は早鐘のように脈打っていた。常人であれば大量の汗を流しているところであったが、汗をかきにくいという特異体質のために田村の皮膚の表面にはまったく汗が見えず、ほのかに水分がその体表を覆うだけであった。もしも注意深い人間であったならば田村が汗をじんわりかいているということに気がついたであろうが、幸いにも宗教を信じる人間は相手の心の中にだけしか興味がなく、相手の外見に興味がない人間が多い。つまり鈍感な人間が多いので誰にも気づかれずにいたのだ。  田中の予言では今日、神ペテテロパスが現れ人間たちの神を冒涜する態度に激怒した彼が世界を滅ぼすことになっていた。しかし田中や彼の教義を信じる信者たちは特別に神ペテテロパスの怒りを逃れる。神ペテテロパスを信じた彼らには褒美にこの地球の支配権が与えられ田中が王になり、信者たちは貴族としてこの地球の支配者になるというものだった。  もちろんそれは田中が作った嘘である。  田中が教会の中をあちこち見回す。どこか逃げ道はないだろうかと探しているのだ。しかしどこにも逃げ道はない。どこを見ても信者たちでいっぱいだ。それもそのはずだ。今日は世界が滅ぶと予言された最後の日なのだから。  教会内の信者たちの異様な緊張感が辺りを支配する。  世界が滅ぶと予言された最後の日なのに何も起こる気配がなく、辺りはしずかで田舎に建てられたその教会のまわりでは虫の音が聞こえるくらいであった。  もし普通であればそんな虫の音も心地よいものだったのかもしれない。しかし疑惑の眼差しを向けられ、あちこちで陰謀を企んでいる政治家たちのように田中を見ながら数人のグループに別れてヒソヒソ話をしている信者たちの様子を見ている田中の耳には虫の音など入る余地などなかった。  どうしよう。  何とか逃げなければいけない。  もし――もし――予言された日に何も起こらなかったとしたら彼ら信者たちはどうするのだろうか?  田中はさっきから神ペテテロパスに祈るフリをしながら信者たちのヒソヒソ話に聞き耳を立てていたのだ。信者たちの話をまとめて総合するとこういうことになる。もしも田中の言ったことが嘘だったとしたら、全財産を教団につぎ込んだ彼らには身の破滅しか残されていない。だからその時は――。  ”その時は――”で信者たちの話は必ず途切れる。その時はどうするつもりなのだろう? そのことについてはあまり考えたくはない。どうせロクデモナイことに決まっているからだ。これから田中の身の上に降りかかるであろう不幸な出来事に決まっているからだ。それは預言者でなくても分かることだ。  さっきから田中は逃げ道を探している。しかしどこもかしこも信者たちが一杯で逃げ道になりそうなドアの前や窓の近くには信者の誰かが必ず立っている。窓の外を田中が覗くとそこにも信者が立っていて田中と目があった。田中はすぐに目をそらし気が付かないフリをして立ち去ったが、田中の逃亡を阻止するために信者たちが監視していることはあきらかであった。  早くここを逃げ出さなくてはならない。助かりたければ逃げるしかない。田中の顔に笑みが漏れる。”助かりたければ――”その言葉は田中が信者たちにさんざん言ってきた言葉だったからだ。信者たちには神を信じろと言っていた自分が神を信じずに逃げようとしていることに一種の滑稽さというものを覚えたからだった。  田中の顔に浮かぶ笑みを見て信者たちがまたヒソヒソ何かを言っている。彼ら信者たちは田中が何をしてもヒソヒソ話をする。まるで町内の道端でたむろをしている暇人の主婦たちが近所の人間の悪口を言ってひまつぶしをしているかのようにも見える。ただ信者たちが主婦たちと違う所は彼らの目が血走っていて殺気のようなものを感じさせる所だった。  どうやっても逃げられない。田中の心に絶望がこみ上げてくる。例えば教会の外に気分転換に新鮮な空気を吸いに出たとしよう。当然信者たちも後をついてくる。そこで田中が突然走り出し近くに駐車してある車に飛び乗り逃げようとしたとしてもそれは無理なことだ。なぜなら駐車場に止めてある車の近くにも信者たちが張り込んでいるからだ。田中が100メートル走のオリンピック選手であったとしても逃げることは不可能であろう。  まったく。どうして信者たちはこんなことばかりに必死になるのだろうか。まるで凶悪犯を捕まえようとして街中を警戒態勢でうろついている警察官よりも厳重な警備だ。まさに蟻の這い出る隙間も無いとはこのことだろう。彼らは異常だ。どうしてこんなおかしな人間を騙して金儲けをしようと企んでしまったのだろう。田中は心の中で今更ながら後悔した。  自分の犯したことの償いを受けるのだ。仕方のないことかもしれない。だが、それを黙って受けるつもりは田中にはない。でも、もうどうしてよいか分からない。田中は途方に暮れて椅子に座り込み頭を抱え込んだ。その姿は他人には神に祈っているかのようにも見えるのだから滑稽なものだ。  教会の入り口が騒がしい。誰か客がやってきたらしい。こんな時に誰が? 「帰ってください」  そこにはTV番組の撮影スタッフがいた。その先頭にはニュース番組のレポーターの森田がいた。全国放送のニュース番組に出演しているそこそこ顔の知れた男だ。日曜日の夕方に何もすることが無い時に暇つぶしにテレビを見たことがある人間ならば一度は見たことがあるだろう。  信者たちに囲まれても毅然とした態度を崩さない。さすがに場数を踏んでいることはある。森田は汚職政治家や企業、宗教団体にまで突撃取材をする男だ。その堂々とした態度には田中も感心した。  しかし今この教会にいる信者たちは普通の状態ではない。口々に何かをいうその姿は精神病院の患者たちの集まりのようにも見える。普通の人間ならば身の危険を感じて逃げ出してしまうことだろう。森田も信者たちに取り囲まれ教会の外に押し出されようとしている。  たぶん森田はインチキ宗教の最後の日を取材に来ているのだろう。視聴者が好きそうな話題だ。こんな時にテレビ局の取材を受けるつもりは田中にはない。田中は背を向けその場を立ち去ろうとした。しかしその時にある考えが頭に浮かんだ。  そうだ。信者たちもテレビ局の撮影クルーがいてはおかしな真似は出来ないだろう。それでも信者たちが強引な手段に出て田中の身に危険が降りかかりそうになったならば、彼らの内の誰かが警察に通報してくれるはず。そうなれば田中は助かるに違いない。  信者たちの間をかき分けて田中が前に出る。 「彼らを中に入れてあげなさい」 「でも彼らは――」 「いいではないですか。彼らにも見てもらいましょう。ペテテロパス様が現れるその瞬間を」
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