地球最後の日

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「ふむ。これで契約成立だな」  悪魔が性格の悪そうな顔を歪めて喜びの感情を表す。悪魔なのだから性格の良さそうな顔をしろと言っても無理だろう。でもそんなことはどうでもいい。これで自分が助かるということが大切なのだ。  田中が部屋から出ていこうとすると悪魔が後ろから声をかける。 「ずいぶんあっさりだな。世界が滅ぶような契約をこんなに簡単にするやつはめずらしいぞ」  その声は田中を嘲笑しているようにも、褒め称えているようにも聞こえる。  田中も迷わなかったわけではない。田中が助かるために関係のない他人、いや地球上の人間すべてが死ぬというのだから迷うなという方が無理なことだろう。しかし人は皆死ぬ。それが早いか遅いかだけの違いなのだ。きっと人は死ぬときには苦しんで死ぬに違いない。病気だとか事故にあってだとか、信頼していた人間に裏切られて絶望のうちに自殺する人間もいるだろう。どうせ人が皆苦しんで死ぬのならそんなことを気にしても仕方がない。だから気にしないだけのことなのだ。  田中は幸運に恵まれただけなのだ。神になり死の運命から逃れることが出来るのだから。その権利を放棄するなど馬鹿げている。そもそも他人の不幸を気にするような人間だったなら田中は宗教で人を騙して金持ちになろうなどとは考えなかったはずだ。  ドアがドンッと鈍い音を立ててドアが激しく揺れる。きっと外から体当たりをしているのだろう。さっきまで感じていた恐怖ももう感じない。何か身体のうちから大きな力のようなものを感じる。それとともに恐れも田中の身体から去っていったようだ。 「よし、もう一度だ。タイミングをあわせ――」  祈祷室のドアが開いて田中が中から出てくる。その表情には迷いのようなものは無くなっていた。それは神々しくもあり、教祖という職業にふさわしい威厳のある風貌になっていた。  それを見た信者たちが一瞬あっけに取られて動きを止める。思いもかけない光景に驚いて、自分たちが何をしていたのか忘れてしまったのだ。  田中がゆっくりと信者たちの間を歩いていく。そしてさっきの老婆の所に行き、その肩に手を置き「大丈夫ですよ。もうすぐペテテロパス様が現れますよ」と言った。  その声を聞いて信者たちの間から笑い声のようなざわめきが起こった。最後の日の残り時間が1分を切っていることに気がついたからだ。この後におよんでまだ神が現れると言い張るのだ。信者たちの顔には愚か者でも見るような見下した目つきが現れる。それに田中は気が付かないフリをしていた。  何ておろかな人間たちだ。さんざん神を信じると言っておきながら、最後の大事な時になってそれをやめるなんて――。 「本当に現れるのなら見てみたいものだよ」  老婆がポツリと言った。  それを聞いた信者たちの間から笑い声が漏れる。 「本当に見てみたいよ」 「ペテテロパス様。今すぐその姿を現してください」 「おい、もうそこまで来ているぞ」  信者たちが口々に嘲笑を含んだ口調で話す。その姿は学級崩壊した小学校の授業中に児童たちが教師をバカにして騒いでいるかのようだ。彼らにはもう田中に対する尊敬の念などは微塵もないのだ。  田中はその騒ぎの中にあっても顔色を変えずに立っている。そしてゆっくりと教会の中央に向かって歩き出した。  残り時間は30秒を切った。  予言は実行される。神ペテテロパスは現れる。そして神を冒涜したものたちに裁きを下す。そうだ予言通りだ。嘘は言っていない。彼らは最後の最後に自分で自分の首をしめることになるのだ。全ては彼らが望んだことだ。  田中もついには笑い出す。それを見て信者たちも笑い出す。本来であれば笑顔に包まれたその場所には幸せが訪れるはずであった。しかしその場には恨みを抱き相手にその罪の償いをさせようとする感情を持ち合わせている人間以外はいなかった。田中を除いては、いや神ペテテロパスだろうか。  田中が教会の中央に立つ。 「さあ神ペテテロパス様に祈りましょう」  その言葉とは裏腹に田中が祈る動作をしていないことに気がつくものはいなかった。田中には祈る必要などもうないのだから当然だ。信者たちはこの後の出来事を期待を持って見守っていた。それは彼らの望むものではなかったのだが――。     
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