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サジタリオ教団のトンデモ思想
それにしても、下界にはつまらない理由で死にたがる人間の多いこと。天空の雲海にそびえたつ天魔庁のフロアでも高層に位置するのが希死念慮者支援部。通称ODだ。
弓なりになった大陸を見おろすオフィスは明るいオフホワイトで統一され、清潔感が漂う。アドニスたちが主戦場にしている追撃課とは文字どおり雲泥の差だ。
「フィーナ課長から伺っております」
ビビッドな深紅を纏った少女はおおよそ天使らしからぬ格好だ。ここが鬱屈した感情を扱う場所だと説明されても部外者は信じないだろう。
「追撃捜査一課。第霊級追撃天使、アドニス・フェリス」
手短に所属と経歴を紹介した後、応接室に招かれる。真っ赤な天使は席を外すのかと思いきや、スカートのすそを丸めてそのまま座椅子に腰を掛けた。
「希死念慮者支援課長 アリエル・ギースです」
にっこりとあどけない笑顔を返す。
「ずいぶんと追いつめられているようね」
アドニスは仮面の裏に隠れた偽りを読み取った。
「え?」
アリエルは凍り付いた。
「追撃天使の前で演技は禁物よ。特にあたしを敵に回したくなければ」
アドニスが念を押すとキースはみるみるこわばった。
「そうですか。大変失礼いたしました。百戦錬磨の戦士を試すような真似をして」
「形式めいた謝罪はいい。炎上してる現場に案内して」
「希死念慮者支援のオリエンテーションは…」
「いい。あたしは手続きだの申請だのお役所仕事にはうんざりしてるの。事件は書類の裏で刻一刻と進展してる」
追撃天使は鬱陶しそうに新人向けの手引書を押しのけた。代わりにフィーナから預かったファイルを広げる。
「サジタリオ教団の残党がまだ息をしているんだって?」
「ええ、異世界転生という厄介な置き土産を遺してくれました」
アリエル・キースの担当部署は希死念慮者のなかでもとりわけ難儀な連中を担当している。八方ふさがりの現実に見切りをつけて、来世に積極的な望みをつなごうという輩だ。
能動的な厭世思想というか、死にさえすれば破格な待遇が来世に待ってると言う根拠のない楽観論だ。転生先で結ばれることを夢見ながら臨終を迎えるカップルは昔からいた。
アドニスに言わせれば、そんな甘い考えはレーテ―に一掃される。死でわかたれた二人は確かに未来で結ばれる。しかし、それは熱愛でなく憎悪しあう関係となるのだ。
例えば泥沼の戦争を続ける国家の指導者、あるいは血で血を争う一族の継承、はたまた権謀術数うずまく宮廷の愛憎劇。
望んだはずの穏やかな生活でなく、互いを常に脅かす対立構造が利害や情愛を超えた高みに二人を昇らせてくれる。輪廻転生とはたゆまぬ霊性の試練であるからだ。
それゆえに神は安穏に冷水を浴びせる。
だが、サジタリオ教団はそんな無慈悲を原理主義で完全に否定した。神が真に万物の創造主であるならば、誤謬の入り込む隙間が無いからだ。
神は全知全能である。では、なぜゆえに霊魂を精錬する必要があるのか。被造物に成長のノルマを課すという事は、彼の成果物は不完全で改良の余地がある。
結論として神は万能ではない。それならば、輪廻転生の機構を積極的に活用して進化を推し進め、神を出し抜こうというのが教団の理想だった。
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