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うちの街はN市。
海と山に囲まれていて、春先になれば海の近くでなくても潮の匂いが漂い、冬になれば山颪の風が吹いている町だ。大昔はもうちょっと田畑が広がっていたらしいけれど、高度経済成長の中でベッドタウンへと切り替わり、大都会のO市やK市まで働きに行き、休日だけ人が賑わっているというような街だった。
地方都市で、小さくもないけれど大きくもない。大都会には程遠いけれど田舎でもない。そんな街の日常が崩れたのは、今思ってもあの夜だった。
私は宿題も終わり、寝る前にスマホでネットサーフィンをしているときだった。いきなり突き上げられたような地鳴りを感じ、びっくりしてベッドに飛び乗ると、布団を深く被った。
最初は地震だと思ったけれど、それにしては変な揺れ方だった。
ドシン、ドシン、ドシン。
音がするたびに、体が飛び上がる。でもそれは、まるで足音みたいなのだ。
「なにあれ……!」
窓の外から悲鳴が聞こえる。どうも外を見ている人がいるらしい。私は布団の中から飛び出して外に出る勇気はなくて、知っている人はいないかとスマホアプリを弄りはじめた。
おしゃべりアプリのうちのクラスのグループを眺めていたら、クラスメイトのひとりが写真を貼り付けているのが見えた。
【怪獣がいる】
そのひと言と一緒に添えられた写真を見て、乾いた笑いが漏れた。そこに出ているのは、どこからどう見ても爬虫類とゴリラを無理矢理合体させた、二足歩行の生き物なのだ。まるで怪獣映画のワンシーンだ。
【なにこれ、つくったの? なんのアプリ?】
【やめいや、今むっちゃ揺れて怖いのに】
一部の子たちは当然ながら、私と同じような反応をしてたものの、一部の子たちが別の写真を流し出した。
【いや、マジモンだと思う。これ、うちの家の前のクレーター】
そう言って流した写真を見て、私はぎょっとしてしまった。
アスファルトが、まるで雨上がりのグラウンドみたいにくっきりと足跡を残している。アスファルトが抜けた部分からは、剥き出しの水道管が顔を覗かせ、そこが割れて噴水が出ているのまで見える。いくらなんでも、こんな写真の加工は素人だと無理じゃないだろうか。
当然ながら、そこからグループの流れは加速した。
【今、私もちょっと見たけど、あれなに?】
【さっきからヘリコプターの音が聞こえる】
【なんか、さっきからキャタピラの音がする】
だんだんと、そこに書き込まれる言葉は不穏になってきた。
そういえば。私も窓の外に耳を傾けた。ブロロロロロ……という、夜間に飛んでいたら間違いなく苦情が殺到しそうな音が聞こえてきたのだ。
いったいなにが起きているんだろう。そう思っていた中で、ひとりがまたアプリに写真を流しはじめた。流してきたのは、どこからどう見ても戦車だった。
【今見てきた。戦車が怪獣と戦ってる。さっきから鼓膜破れそう】
【マジで? どうやって見てきたんだよ】
【天体望遠鏡で見てきた。正直耳痛くってさっきから平衡感覚おかしい】
【あの怪獣なに? どこから来たの?】
【ごめん、ちょっとべっどでよこになってる。あたまうまくまわらない】
そこからもコメントはどんどん流れてきたけれど、だんだん気持ち悪くなってきて、私はとうとうスマホの電源を落としてしまった。
夢だ。外を怪獣が歩いている訳ないし、戦車が怪獣と戦う訳がないし、ヘリコプターが夜間に怪獣を撮影するために飛んでいる訳がない。きっと皆、地震が怖くってデタラメを並べてないとやってられないだけなんだ。だから、寝よう。
寝て起きたら、きっといつもの朝が待っていると思っていたのに。
その日から、私たちの日常は終わってしまったんだ。
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普段滅多に使われない固定電話が鳴ったのは、家族皆で朝ご飯を食べているときだった。それはうちの学校からで、担任はずいぶんと枯れた声をしていた。
「今日は自宅待機です。これからテレビでケンセイからの発表がありますから、見てくださいね」
そのままガチャンと切られた。ケンセイってなんだろう。牽制?
私はそれをお母さんに伝え、急に休みになってどうしようと暢気に思いながらスマホを何気なく付けて、気が付いた。どのアプリをタップしても、起動しないことに。
「お母さん、スマホ使えない」
「ええ……? 本当だ。お母さんのも使えない」
「なんで? 仕事で使うから困るんだけど」
そう言っていたら、今度は固定電話にお父さん宛に来た。そっちも自宅待機になってしまったらしい。
「昨日の地震のせい? でも県政ってなんで?」
訳がわからないというまま、テレビを付けたら。県庁所在地からの中継ということで記者会見が始まった。
「本日より、N市は保護区として、他の市との行き来ができなくなりました」
なにを言っているのだろうと思った。そこでつらつらと、昨日のニュースの説明がはじまった。
近所にある製薬会社が爆発し、そこで実験動物が逃走、それが原因で町にクレーターができてしまったらしい。復旧用人員は割くし、日常生活が送れるように県も力を貸すというようなことは言っているけれど。
そもそもスマホが使えなくなってしまった時点で、これは私たち閉じ込められたんじゃないかと思う。試しに家のパソコンでネットを繋いでみようとしても駄目で、インターネットに接続できるものは、どこも使えなくなっていた。
ベルリンの壁ができたのは、本当に日常生活を送っていた最中だったらしい。それと一緒で、私たちは唐突に閉じ込められてしまったんだ。
ひとまずお母さんは「流通が止められたらご飯が買えなくなるから、今の内に買いだめに行こう」と言って、休みの私を荷物持ちに連れ出して、ふたりでスーパーに出かけた。最初は自転車を乗っていたけれど、それはすぐに家に戻してこないといけなくなった。
普段使っている通りに、アプリで見た足跡の形のクレーターが、ベコン、ベコンと付いているのだ。一部の道は立入禁止の看板が設置され、工事をしている。
「なにあれ」
「……怪獣が出たってクラスの子が言ってた」
「怪獣って……映画じゃあるまいし」
「でも、あの足跡は、どう説明すればいいの?」
「んー……私たちが閉じ込められたことと、関係あるの?」
あるとは言えない。でも、ないとも言い切れなかった。
スーパーでは皆同じことを思っていたんだろう、たくさんの人が詰めかけていた。でも、いつの間にやら流通はストップがかけられたらしく、スーパーの店長さんらしき人が、スピーカーで必死に「おひとり様、一商品につき、二点までです! 米は一点! ペットボトルは二点までです!」と呼びかけている。店長さんの髪はボロボロで、早朝から一部商品の見直しをしていたらしかった。
「なに言ってるの! それで育ち盛りが足りると思っているの!」
「勝手に町に閉じ込めておいて! なにケチってるんだ!」
「こんなときに商売してるんだじゃない!」
一部のヤジは、あんなにボロボロになっている店長さんには可哀想過ぎる。私とお母さんは顔を見合わせるものの、もし今、目を離した隙に店内が空っぽになってしまったら、今晩から食べるものにだって困るから、帰ることもできなかった。
私たちが震えながらヤジを無視しているとき。
いきなり鋭いホイッスルの音が聞こえた。
「すみません、N駐屯所です!」
厳しい声をかけてきたのは、うちの市に駐屯している自衛官の人たちだった。なんで自衛官が来るんだろう。呆然としていたら、ヤジを飛ばしている人たちを抱えていった。
「なにすんだ、あんたは!?」
「離して! 今晩の食事は!」
その人たちは、どう見ても屈強な自衛官に胸倉を掴まれたり取り押さえられたにもかかわらず、必死に足をばたつかせて抵抗している。あの人たち、根性あるなあ……全然違う感想が頭によぎったとき、その人たちに、なにやら変なものが見えることに気付いた。
ヤジを飛ばしていた人たちには、皆めくれ上がった服の下に、入れ墨みたいな模様が見えるのだ。まるでこれは、魚の鱗だ。
「深度2、確認!」
「すぐに連行しろ!」
自衛隊は私たちになんの説明もなく、ヤジを飛ばした人たちを連れて行ってしまった。そして店長さんになにやら告げると、店長さんはボロボロな様子でさらに顔まで青褪めさせてしまった。
私たちは呆然と、立ち去っていくトラックを見ていた。
あの人たち、いったいどこに行くんだろう。そして私たちが町の外に出られなくなったこととなにか関係があるんだろうか。そこまで考えたものの、スーパーで買い物しないといけないことには変わりない。私たちは人波を必死に掻き分けながら、一週間分の食事を確保することに成功したのだった。
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ネットは全滅、アプリは使えない、電話は固定電話だけ。テレビはかろうじて県が経営しているチャンネルだけ見ることができた。全国ネットは当然見られない。お父さんのカーラジオでも、地元局以外の番組は聞けなくなっていた。
生まれた頃から当たり前だったものが封印されるのって、結構きついものがある。最初はネットもアプリも使えなくってジタバタしていたけれど、少しずつ慣れていった。
友達と集まって情報交換していく内に、わかったことがある。
N市にある製薬会社の工場が爆発して、それのせいで市民は全員、なにかに感染した可能性があるんだという。それは空気感染で広がるものなのか、微生物なのかウイルスなのかは全然知らないけれど。とにかくそれに感染してしまったら最後、深度というものが上がると大変なことになるらしい。
ホラーだったら、製薬会社が原因でゾンビ化が進んで、街一帯がホーンテッドタウンになったりするけれど、あの製薬会社が爆発した日に、ネットが遮断されて見られなくなってしまったアプリに流れた写真。あれだと怪獣だ。製薬会社から怪獣が出てきたなんて聞いても、いまいちピンと来ない。
「あそこの製薬会社の社宅が近所にあるけど、結構悲惨なことになってる。お前らのせいでN市から出られないんだ、どうしてくれるってさ」
その子の言葉に、私はなんとも言えなくなった。
私たちは高校生で、今のところ市内で不自由することがないけれど。きっと電車通学通勤している人や、実家に里帰りしたい人、上京する予定のある人たちからしてみれば、たまったもんじゃないんだろう。
「今のところ、なあんも影響ないけど、その内影響するようになるのかな?」
それには、誰も答えられなかった。
だって、一般生活を営んでいる人間が、製薬会社に対抗するってなんなんだろう。しかもそれが原因でどうして怪獣が出てきたのかわからないし、自衛官が大量に配置されている現状を打開するって、どうやってって思ってしまう。
非日常は唐突で、私たちはこの状態にどうにか溶け込もうと躍起になっていた。
実際、この状況で不安になってはいけないと思ったのか、国はどうだか知らないけれど県も市も頑張っているみたいだった。
あの爆発した日に出てきたクレーターは、工事の人たちがやってきて、すぐにアスファルトで埋めてくれた。二、三日したら、塞いだ跡だけは消えなかったものの、クレーターがあったというのがわからなくなっていた。
通販や郵便物は、トラックやバイクの替わりにドローンが運搬してくれるようになったし、食料もそれで届くようになった。通販雑誌を定期購読している人たちがいたから、それで注文すれば、日常生活には支障がなかった。
でも、相変わらず自衛官の人たちはガスマスクを付けてうろうろしている。
最初は違和感があって、非日常に放り出された気がして心細かったけれど、いつしかそれも日常として溶け込んでしまっていた。
そんな中、クラスでちっとも来ない子が出てくるようになっていった。
「あの製薬会社の社宅、あっちこっちからゴミを捨てられたりして、悲惨なことになってるんだってさ。さすがに自衛官の人たちがうろついているから、乱暴なことはしてないけど、陰湿なことはずっと繰り返されてるって」
「ああ……」
あの爆発の日からちっとも来なくなった子も、その問題の会社の社宅に住んでいる内のひとりだった。
学校の先生は薄情にも、「この分だと彼女に単位はあげられない!」と怒っている。爆発の日から日常に戻れている子はいいけれど、彼女はあれからちっとも戻れないでいるから、もうちょっとまけてあげたらいいのに。そうは思っても先生はまける気はないらしい。冷たい。
「あのう……彼女は成績がいいから、せめてプリントやって、まけてもらうってことはできないでしょうか……?」
たまりかねて、私は口出しをしてしまった。
彼女とは幼稚園時代からの幼馴染みだから、彼女自身はなんにも悪いことをしていないのに、勝手に学校に行けなくして、勝手に単位を落とすのはあんまりだと思ったんだ。間違っても正義感ではない。
先生は「んー……」と唸る。あそこは自衛官がうろうろしているからといっても、完全に安全とは言いがたくなっているから、あそこにプリントを持っていくのが嫌なんだろう。
「私、持っていきます」
「えー……じゃあ、お願いします?」
先生の言葉に、私は内心この人最低だな、自分のことしか考えてないとぼんやりと思う。車で出かけていって、ポストにプリントを入れれば済む話なのに、運転免許もない高校生にプリントを押しつけるなんて。
でも。私は彼女のことが心配で、行くしかなかった。
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