地味OLは元アイドル

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18時、定時だ。パソコンの電源を切り、荷物をまとめてオフィスを出る。 「おつかれさまです。」 「あ、麻衣、この後飲みに行かない?」 同期の理沙が話かけてくる。 「ごめーん、ちょっと早く帰りたくて。」 「えー、また?華金だよ?」 「ごめんね!お疲れ様!」 そう言って、急いで来ていたエレベーターに乗り込んだ。急いで帰らなくちゃ。この後もまだ仕事がある。誰にも秘密にしている仕事が。 家に帰ってビデオカメラを手にとり、鞄に入れる。そして、もう一度家を出た。向かった先はカラオケ店だ。金曜の夕方ともあり、混んでいるかと思ったが、夜のフリータイムが始まるにはまだ早い為か受付に客はおらず、すんなり入れた。部屋に入ると慣れた手つきでビデオカメラをセットする。そして、1時間たっぷりと歌った。 家に帰ると撮ったビデオを見てみる。精密採点で95点から98点。うん、まずまずだろう。一番よかった一曲分の長さに編集し、Mytubeにあげた。そう、わたしはいわゆるマイチューバーだ。と言ってもただカラオケで歌っているところを上げているのではない。わたしはJ-popに韓国語で歌い、K-popを日本語にして歌っている。そう、わたしはバイリンガルだ。   わたしはもともとアイドルをしてきた。それも韓国で。いわゆるK-popアイドルである。中学の頃に行った韓国旅行でスカウトされて、オーディションに合格し、中3から事務所に入った。その後幸い高校3年の8月にSunnyというグループのヨルムとしてデビューした。ヨルムは夏という意味だ。女の子6人グループ。Sunnyは本当にうまくいった。忙しすぎて3日間ほとんど寝ていないこともあったほどだ。あれほど沢山の人から歓声を浴び、可愛い衣装を着ることはもう2度とないだろう。Sunnyとしては5年活動し、事務所との契約更新のタイミングでやめた。他のメンバーも1人を除いて事務所を移った。でも、芸能界を辞めたのはわたしだけ、他の5人はソロの歌手やタレント、女優として今も活動している。なぜ、そんなに売れていたのに辞めたのか?と不思議がる人も多いだろう。でも、アイドルは本当に大変だ。どこに行っても盗撮されるし、知らない人に後をつけられるなんてザラだ。知らないうちに自分の写真が出回っているのは本当に怖い。知らない人から電話がかかってきたのも一度や二度ではなかった。そして何よりプライベートがない!一日休みは滅多にないし、睡眠時間は3.4時間だ。K-popアイドルは基本グループでまとまって住むことが多い。それはわたしのいた事務所も例外ではなく、6人で一つの大きなマンションの一室を借りていた。リビングと寝室が3つ。要するに一人になれる空間はない。もちろんアイドルも好きだった。でも、普通の女の子になりたいと思ってしまった。だから、23歳を目前として、芸能界を辞めて、日本に戻った。それから、1年半バイトして今の会社で働き始めた。日本へ帰ってきたわたしは韓国にいたときとは全く生活をした。まず、とにかく目立たないようにした。日本ではそんなに知られてなかったけど、韓国では知らない人はいないくらいだったから日本のK-popファンや韓国人にバレないようにした。アイドル時代、髪は黒髪ベースで先端をグラデーションにし、よく色を変えていた。先端が明るいのがヨルムって覚えてられていたくらい。そして、前髪ありのセミロングかロング。日本に来てからはわざと前髪をなくした。似合わないのはわかっていたけどそっちの方がわかりにくいだろうと思って。髪も全体を黒くした。化粧も薄め。とにかく地味に徹した。家にいる時間がなかったわたしは日本に戻ってからは家が大好きな超インドア人間になった。バイト先でも、大人しい子というイメージがつき、今の会社でもそう。そのせいか仲良い人がいない。でも、仲良くなったらなったで色々過去のこと聞かれて面倒くさいだろうからいいのだけど。   Mytubeには早速コメントが来ていた。歌が上手ですね!と言ったものからヨルムさんですよね!とわたしの正体に気がついたコメントまである。   わたしがMytubeを始めたのは3ヶ月前。会社に入って1年が経った頃だった。目立たないようにしてきたわたしがなぜこんなことを始めたのか?それはキラキラしてたあの頃を思い出してしまったからだ。誰にも追われない生活は平和でいい。ただ、会社で働いていると本当にこのままでいいのかという思いが込み上げてくる。毎日事務仕事をひたすらするだけの生活。忙しい時期は残業もある。朝から晩まで働いている割に給料は安い。頑張ったところで劇的に給料は上がるわけではない。それに比べてアイドルはどうだったろうか?本当に忙しい中でもどうしたらファンに喜んでもらえるかを常に考えていた。ファンを思い浮かべながらイベントを準備してうまくいけばファンから直接反応がもらえる。もちろん批判もされはするが。でも、会社の仕事はそうではない。事務ではやることは決まっているし、それをこなすだけで褒められることも批判もない。そんな毎日に飽きたのだ。周りの反応がすぐに見れて、プライベートが守れる仕事。それがMytubeだった。ただ、顔を隠して歌っても面白くはないので元K-popアイドルを生かして、K-popを日本語で、J-popを韓国語で歌うことにした。最初は再生回数も伸び悩んだが、近年の韓国ブームによって再生回数も劇的に伸びた。そして、わたしがSunnyのヨルムであるということに気がつく人が出てき始めた。まあ、気がつくことは別に問題ではない。顔も出していないし、今の格好は昔とは似ても似つかないほど地味なのだから。でも、この動画ではわたしは輝いている。昔の自分に戻れるのだ。この秘密があるだけでもう仕事も頑張れる。キラキラもそうでない自分も今では愛おしい。そうやって会社と家を往復する単調な毎日に刺激を見いだしていた。だから、MytubeにYの名で投稿しているわたしがヨルムだということに気づかれても、そのヨルムもしくはYがわたし、高梨麻衣であるということに気づかれては絶対にならない。   Mytubeを始めてちょうど1年が経った。ちょうど私のMytubeでの稼ぎが会社の給料を超えてくるようになった。そんな中、うちの会社の韓国支店に行っていた人が帰ってくることになった。日本人なのだが、大学では韓国語を専攻しており、さらに韓国に留学経験があることから韓国に行っていたらしい。韓国でもかなり仕事ができる方だったようだ。森宮雅人。どこか可憐さを感じる名前の彼は今週の金曜に戻ってくるらしい。彼が戻ると言うことで会社も業績が伸びていくのではと期待されているらしくみんながワクワクしている。わたしは先輩から歓迎会のお店の手配を頼まれた。韓国から戻ってくるわけだけどあえて韓国料理のお店にしようか。その方が、話題も出しやすいだろうと会社近くの伝統的な韓国料理の居酒屋を予約した。  金曜日、朝出勤すると何やらみんなが盛り上がっている。 「おはよう、理沙。どうしたの?」同僚と話終えて席についたばかりの理沙に声をかける。 「お!麻衣おはよう!見た?」 「え?何を」 「何をって森宮さんよ!すごいのよ!背が高くてイケメンで」 「それでみんな盛り上がってるのか。」 「麻衣は相変わらず興味ないのね。」 「うん、まあ。」 そう言って席につく。イケメンねぇ。興味がないわけではない。わたしだって好きなタイプをあげればイケメンになるだろう。でも、やっぱりみんなが騒ぐ会社や街中で見るイケメンについていけないのはわたしがアイドル時代に沢山のイケメンを見過ぎたためだろう。パソコンの電源を入れたちょうどその時、周りの女性社員が静かになった。何かと思い顔を上げると背の高い、上品な顔立ちの男の人が入ってきたところだった。 「あの人が森宮雅人さんよ。」理沙がささやく。たしかにイケメンだ。爽やか。仕事もできるなんて。そう思って見つめていると彼と一瞬目が合った。気のせいだろうか。一瞬彼がん?って顔をした気がする。まあ、気にすることはないだろうと仕事を開始した。    定時がきてみんなが少しずつ片付けを始める。今日は森宮さんの歓迎会だ。幹事を任せられたから大変だ。普通に飲んで、途中で森宮さんに挨拶を振るくらいだから大したことはないがこんなにも女子社員が色めき立っていると粗相は許されないだろう。ドキドキしながら会場に向かう。 飲み会が始まると実に平和だった。女性社員は森宮さんに話しかけまくっているので特にわたしが何か仕切る必要もなかった。とりあえず、静かにつまみを食べていた。3時間コース。実に暇である。そもそもわたしは飲み会が苦手だ。アルコールはあんまり飲めないし、今回のコースは高い割には料理が少ない。お腹にたまるものもあんまりないし、お腹が空く。もう2時間以上経ったというのにまだ森宮さんはいろんな人から話しかけられている。モテるってすごい。そして、ずっと笑顔。よく疲れないなぁ。わたしは対して何もしていないのに疲れた。御手洗いでも行こう。立ち上がりトイレに向かう。出てきて鏡の前でケータイをいじる。女子社員たちが競い合うように森宮さんと話したり、接待したりしようとするあの空気、ほんと疲れた。戻りたくない。でも、幹事だし飲み会の時間はあと30分ほどしかない。最後に幹事から一言求められるかもしれない。戻らなくては。そう思いトイレから出ると同じくトイレから出てきた森宮さんと会った。 「あ、、、お疲れ様です。」 「お疲れ様です。」 「楽しんでいただけました?」 疲れているだろうに何を話していいか分からず変な質問になる。 「えぇ。高梨さん、たしか幹事でしたよね?」 わたしが幹事と知っているなんて、しかも名前まで知っている。さすがだ。 「えぇ、よろしくお願いいたします。」 「こちらこそよろしくお願いいたします。素敵なお店ありがとうございます。ここの韓国料理は現地の味がそのまま再現されていますし、種類も多くて素敵ですね。いいお店を知りました。」 「いえいえ、韓国から戻ってきたばかりなのに韓国料理のお店にしてしまってすみません。でも、気に入ってもらえて良かったです。」 「韓国料理大好きなので嬉しいです。高梨さんも韓国料理がお好きなんですね。」 「えぇ。」 昔韓国に住んでいたのか言いそうになったが口をつぐんだ。 森宮さんに続いて席に戻る。女性社員たちがわたしと森宮さんが一緒に戻ってきたのをみてすごい目を向けてきた。わたしはそんなつもりはないのに…。これだから女子は怖い。本当にたまたま一緒になっただけなのに…。 席につくと理沙が話しかけてきた。 「麻衣、興味なさそうなフリしてやるじゃん。」 「何がよ?」 「何がって森宮さんと戻ってくるなんて、二人きりで話してたんでしょ?」 「いや、トイレでたら一緒になっただけなの!私もびっくりしたんだから!」 「でも、二人で話したんでしょ?いいなぁ。みんな森宮さんが御手洗い行く時待ち伏せしようとしたんだけど課長と部長に止められたのよ。」 だからか、森宮さんが席を立ったのに誰も追いかけてこないなんておかしいと思った。おかげでわたしがトイレで待ち伏せしたみたくなったじゃないか。幹事までやったのに誤解されて終わるなんてほんとやってらんない。 複雑な気持ちでいるうちに歓迎会はお開きになった。店を出る準備をしながら部長と課長が2次会行くぞと盛り上がっている。お決まりの流れ。カラオケだろう。わたしはいつも行かないが…。幹事だし行かないとまずいだろうか。行っても歌いたくない。 「森宮行くぞ!」 そう言って部長が森宮さんの方を抱いて連れて行こうとしている。それに女性社員たちも続く。わたしは残って忘れ物の確認とお会計をする必要があるので支度してみんなが出るのを待った。忘れ物がないことを確認して、お会計を済ませて外に出る。すでに誰もいない。みんな二次会に行ったのだろう。おかげで私は行かずに済みそうだ。このまま帰ろう。そう思って駅に向かって歩き始めたその時。 「高梨さん!」 振り返ると森宮さんが走って来ていた。 「森宮さん?どうされましたか?」 忘れ物はなかったはずなのにおかしいなと思いながら尋ねる。 「高梨さん、今日は幹事お疲れ様でした。二次会行きませんか?」 「いや、わたしは大丈夫です。森宮さん行かれるんですよね?楽しんでください。」 「えー、行かないんですか?カラオケですよ?」 カラオケですよってわたしみたいな年代の女性はカラオケ好きというものなのだろうか? 「カラオケは苦手なので…。」 とっさに嘘をついた。 「そっかぁ、残念です。でも、いつかカラオケにも参加してくださいね!ヨルムさん!」 「えぇ!?」 突然ヨルムさんと呼ばれ思わず声が出た。 「ヨルムさんですよね!僕ずっと好きだったんですよ。だから、ぜひ生で歌、聞けるかなって期待してたんですけどね。これからも応援してます!では!」 そういうと森宮さんは駅とは反対に走り去っていった。 「えぇーーーー!ちょっと待ってーーー!」 わたしの悲鳴が誰も誰もいない路地に響き渡る。ついに秘密を知られてしまった。しかも森宮さんに…。なんとしてでもみんなには黙っておいてもらわなくては…。でも、どうやって森宮さんに話しかける。今夜の二次会で行ってしまわないだろうか?行ってしまったらばらされて歌わされる?わたしの日本で築き上げた平和な毎日が一気に崩れ落ちた気がした。
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