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「文章力、文章力……」
呪文のように私は呟くと、ベッドで仰向けとなり、両手で持ち上げたスマートフォンと対峙した。
が、書き出すべき一文は、全くといって言い程思い浮かばず、代わりとして「アラケーさん」のイメージが相変わらず私の脳内を席巻していた。
私はため息を一つつくと、スマートフォンをベッドの上に置いた。
──取っ掛かりの一文。
一度でも、何かしら執筆をした事がある人なら、この気持ちが分かるのではないだろうか。
「取っ掛かりの一文」さえ書ければ、次のセリフや情景描写が芋づる式に次々と浮かんでくるあの爽快ぶりと、そしてそれがなかなか出てこない、このもどかしさを。
人見知りの園児のように、一向に姿を現そうしない、取っ掛かりの一文。
──いつから、あの人。
あのコンビニでバイトし始めたんだろ。
諦めた私は執筆をやめると、取り敢えず「アラケーさん」の事に思考を巡らせながら、感覚を掴む為に瀬菜が書いているWeb小説を読み始めた。
──アラケーさんを見たのは、今日が初めてだ。
という事は、今日からバイトに入ったのかな。
瀬菜の小説の主人公が、「姫」として暴走族のメンバーに紹介される。
──でも、今日の感じじゃあ、何かコンビニのバイトに慣れてるって感じだったな。
名札にも、研修生って書いてなかったような気がするし。
瀬菜の小説の主人公が、「私は姫なんてガラじゃない!」と、憤る。
──でも、それならなんであんなにレジ打ちとか接客がうまいんだろ。
スマートフォンを持ちながら、私はゴロリと仰向けからうつ伏せへと体勢を変える。
突如、私の前に姿を現した、謎のイケメン「アラケーさん」
その彼について考えれば考える程、謎はどんどんと深まっていった。
「普段、小説とか書いてるから、こんな風に『アラケーさん』について考えたりするのかな……」
スマートフォンに写し出されている、瀬菜の小説。
「アラケーさん」について思考を巡らせた結果、今の私はそれさえも読めなくなり、ただ彼に対する切ない想いがどんどんと募っていった。
チクタク、チクタク……。
壁に掛けているセサミストリートの時計が、高鳴る私の心臓のように、激しく時を刻んでいく。
はぁ、と深く長いため息を私は一つついた。
そして、かぶりを再び振り「アラケーさん」の事を忘れるようつとめると、私は瀬菜の小説を2ページ程黙読した。
「……よし」
瀬菜の小説を読み込む事で、執筆のテンポをどうにか取り戻せた、と思った私は、スマートフォンを更新画面へと切り替える。
──取り敢えず、書けばなんとかなる。
思った私は、納得いくいかないに関係なく、何かしら書く事によって、執筆を始めていった。
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