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 ビルの谷間の車道を埋めつくす群衆。顔を黒いマスクで覆った若者たち。彼らの投げた石が強化プラスチックの盾に当たって、乾いた音をたてた。盾を構えて若者たちに迫る屈強な男たちの背中には、”警察”の文字がプリントされていた。  何かが白煙をあげて群衆に飛びこむ。催涙弾だ。若者たちが逃げまどう。警官隊が突入する。逃げ遅れて路上に倒れた学生を、取り囲んで引きずり起こす警官。  シーンが変わった。女性が泣きながら訴える。異国の言葉に字幕がかぶった。「私たちは自由を守るために戦っている。世界中の人たち、私たちを助けて」女性の背後から警官が近づく。画面がブラックアウトした。  また別の画像。行政トップの記者会見。「学生たちの秩序破壊の行為は許されない。政府は市民の安全を守らなくてはならない」 中年女性の長官は宣言する。「テロリストには断固たる措置をとる」  あの学生たちに警官隊が、どんな「断固たる措置」をとったのか。タツヤは想像しようとしてみたが、できなくて止めた。東京の街中でただ立ち尽くしている。東京は、いつも通り、たくさんの人が無表情に、あるいはスマホを眺めながら、流れていく。  ビルの壁面を覆う巨大ビジョンに、異国の学生と警官の衝突のニュース映像が映し出されているのに、誰一人関心を示さない。内乱、デモ、学生運動、テロ。そんな言葉は別世界のことと決まっているかのようだ。  飛行機で四時間ほどの国の出来事なのに、顔立ちもそう違わないのに、なぜこんなに他人事なのか。でも、タツヤも同じだ。  仕方がないさ。みんな自分のことで忙しい。仕事、学校、あるいはネットニュース、今日のスポーツ。二〇二四年も明けたばかりなのに、夏のパリオリンピックの代表選手のニュースには、みんな耳聡い。タツヤ自身も春からの新生活の準備を始めなくてはならない。うまく会社でやっていけるだろうか……それでも、同じ年代の若者たちが権力と戦っている姿に、心を奪われた。  なぜ学生たちは抗議活動に立ち上がるのだろうか。彼らを動かす衝動は何だろう。あんな熱いエネルギーを日本人は持てるだろうか。  タツヤは、流れる人波の中で動かない影を見つけた。ビルの映像を見上げる少女。学校帰りらしい、黒っぽいコートに赤のマフラーを巻いている。通行人より頭一つ背が低い。  彼女は食い入るように画面を見つめている。雑踏の中で、このニュースに心を動かされているのは二人だけ。タツヤは、理解者を見つけたように嬉しくなった。  少女は切り揃えられた前髪の下から、きらきら光る大きな瞳をのぞかせている。固い意志を感じさせる、きりりと閉ざされた赤い唇。タツヤはしばらく彼女にみとれていた。言葉も思いつかないほどに。  胸がざわざわする。心から見えない手が、無意識に彼女に伸びていくようだ。  巨大ビジョンの画面が広告に変わった。少女は大きく息を吐いて歩き出す。タツヤが声をかければよかった、と後悔した時には、小さな後姿は人波に消えていた。
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