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研究室を辞して、タツヤはエレベーターの一階のボタンを押した。血が下がるようなエレベーター独特の感覚の中で、彼は思った。確かに、院でなく就職を選んだのは自分自身で、その方が安定した生活ができると考えたのも事実だ。なのに、
ーーお前には、研究者になる才能はない。
教授たちにそう言われたような気がした。被害妄想だろうか。だが、有望な学生には、先生の方から院進学を勧めると聞いた。
タツヤが学食に行くと、リョーキがいた。リョーキは研究室こそ違え、同じ学科だったので、よく会う友人だった。コーヒーを買ってきて同じテーブルについたタツヤに、リョーキは言った。
「タツヤが四月からサラリーマンとはな。その天然パーマ、大丈夫なのか」
「大丈夫だと聞いているけど、念のためストレートパーマをかけるよ」
タツヤは苦笑いした。リョーキに悪気がないのはわかっている。だが、天パーのことに触れられる度に、幼い頃にからかわれた苦い記憶が甦る。
「真面目な話、院に進学しないのは、惜しいよ。お前の研究が成功すれば世界を救うかもしれない。自分でも言ってたじゃないか」
「酔っ払いのたわ言だよ」
見極めて諦めたのに、今さら蒸し返すみたいなことを言わないでくれ。
一方、リョーキは希望企業への就職が決まらないので、院へ進学して来年再挑戦する。そんな風に経済的に頼れる親がいたら。タツヤは正直リョーキがねたましい。
「……もし、お前の夢を叶えてくれる人がいたとしたら?」
「ドラえもんか?」
「いや、あげまんの方。人。女だよ」
「ドラマの話か?」
「現実の話。池田さんは、それで、今ブレイクしたんだ」
池田さんとは、大学の気候変動問題サークルを主催している、院生の女性だ。タツヤやリョーキからは先輩になる。元々はまじめな研究会的なサークルだったのに、過激な発言がSNSでフォロワーを集め、支持者が五千人を超え、集会でも演説して、先週はテレビインタビューに答えていた。時の人だ。
そして池田さんとリョーキはつきあっていた筈だ。
「池田さん、元気か? 忙しそうだけど」
「そうだよ。忙しいから俺のことなんか構っていられないんだ。それに、あげまん女に夢中だし……あ、そうそう。池田さんがタツヤに頼みたいことがあるって、言ってたな」
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