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二組敷かれた布団の、片側に潜り込む。
沈黙した電灯が頭上からぶらさがり、カーテンのすき間から差し込む緑っぽい薄明りが、ぼんやりと室内を照らす。
夜が、わたしのまぶたのうえにそっと手のひらをかざした。じんわりと温かく重い体は、いつのまにか夢の淵へとたどりつき、やがてつまさきからずぶずぶと眠りの沼へ沈み込んでいく。
それはあたたかくやわらかい泥につつまれるような甘美な感覚だったが、夢の支配するこの領域は、現実の足音によって容易に蹴破られる。
現実の足音とは、母の金切り声だった。
今夜もまた、帰宅して食事をしている父を相手に、不満をぶつけているらしい。押し殺したような父の声が、何事か答える。母は、さらに言い募る。そんなやりとりが何度も繰り返される。
それをわたしが知っていることを、どうやら両親は知らないらしい。子どもとは、眠りの神の愛撫に身をゆだねれば、朝まで現実には帰ってこないと信じているらしいのだ。
実際には、わたしは布団の中で、重苦しい闇と無言の戦いを繰り広げなければならない。母の声を聞き、父の声を聞き、闇の圧力を感じる。何者か、暗闇の中からわたしを苛む気配がするのだが、声に出して両親に助けを求めることはできない。
だが子どもの体は脆弱であり、闇の圧力に長くは耐えられない。
しばらくすると、再び眠りの天使たちがあらわれて、夢の淵に立たされる。両親の会話の内容はわたしにはよくわからなかったが、どしても最後まで聞きたくて必死にあらがい、どうしても敵わずに夢の世界へ落ちてしまう。
そのようなことがほとんど毎晩繰り返されると、いかに無邪気な子どもといえどうんざりするものである。
「リコントドケにハンコをおすかおさないかでケンカするくらいなら、さっさと押してしまえばいいのに!」
そうすれば夜ごとの喧騒はしずまり、わたしは静けさのなか心地よい眠りに身をゆだねることができるに違いない。
そのように確信めいた気持ちがありながら、その叫びを、両親に伝えることは、どうしてかできなかった。
わたしの中のなにかが、わたしの言葉を引き留めたのだ。
それは、わたしが五歳のころのはなし。
離婚届というものが公式に家族を引き裂くことを知らなかった頃の、幼く愚かなわたしのはなし。
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