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「よお」 「よおじゃねえよ」 「元気そうじゃねえか。凄い美人と新婚で熱々なところ悪いな」 俺の廃屋まで遠路遥々やって来た伊吹刑事は、ハット帽を脱いでから妙にいやらしいニサニサ笑いを浮かべながらそう言った。 「あれは秘書だ。いや自称秘書だ。ワイフでも何でもない。恋人でも愛人でもない」 自称秘書の女がキッチンにあるパーコレーターから二つのカップに一杯ずつコーヒーを注いで持ってきた。 彼女は俺を見てニヤリと笑ったが、俺は無視して自分のカップを受け取ってからチェスターフィールドのウィングバックソファに座った。 「もう探偵は引退したって言ってるだろうが」 「その割には何度も事件に首を突っ込んでるじゃねえか」 「まあ、しがらみって奴だ。お前も無理矢理頼みこんで来た張本人じゃないか」 「ああ。だから今回もしがらみってことで頼むよ」 伊吹はコーヒーをゆっくりと飲んだ。 「そんなにしがらみがあるほど、俺は顔が広くないぞ」 「だが元刑事だ」 「そりゃまあな。クビになったようなものだが…また昔の事件絡みか?」 「まあそんなようなもんだ。お前とは関係ない事件だがな」 「じゃあ俺にしがらみは無い」 「お前と同じような元刑事の案件だ」 「その元刑事がどうした?」 「新しい殺人に絡んでる。捜一(捜査一課)ではそう見てる」 「容疑者がわかってるなら、後は捕まえて吐かせるだけだ。全てお前らの仕事だ」 「警察も手一杯でな。猫の手も借りたいくらいなんだ」 「俺は猫の手じゃない」 「単刀直入に言う。そいつはお前と同じ元刑事だ。数年前、妻子を殺され、怒りに燃えて捜査した結果、一人の容疑者に辿り着いた。だが奴は怒りにまかせて、まだ証拠固めも出来ていない段階でその容疑者をぶん殴っちまった。捜査に私情を挟む上に暴走して暴力まで振るったことを重く見た捜査本部は、奴を事件捜査から外し謹慎処分にした」 「それで?」 「奴が謹慎している間に一応の捜査はしたようだが、結局容疑者の犯行だという証拠も決め手も見つからず、容疑者は解放され、事件捜査はそこで停滞。そのまま迷宮入りになった」 「殺人なら今時時効はないだろ」 「だが捜査本部は解散。実質的には迷宮入り事件と扱いは変わらん」 「その元刑事は謹慎が解けた後も外されたままか?」 「いや、謹慎中に刑事を辞めた」 「辞めた?」 「ああ、警察の捜査に幻滅して、自分で独自に捜査していたようだ。容疑者にストーカーのように張り付いてな」 「それでどうなった?」 「どうにもならん。歳月だけが過ぎた。だがここへきて、その容疑者が殺された」 「殺された?」 「ああ、そうなると一番怪しいのは、やはり恨みがある上に、いつも近くで張り付いていた元刑事ってことになる」 「じゃあそいつをとっとと取っ捕まえればいい。元刑事だろうが何だろうが殺人犯だ。全てお前らの仕事だ。俺の出る幕じゃない」 「俺は奴をシロだと睨んでいる」 「シロ?何か確証があるのか?」 「そいつをお前に捜してほしいんだよ」 「それはお前の仕事だ」 「捜査本部では元刑事犯人説が確定している。俺も捜査員の一人としてその線で動かなきゃならん。だが俺にはどうにも奴がシロに思えてならないんだ」 「ふーん、それはお前ではなく、お前を手足にして上から操っている"警察の威信が制服を着ている連中"の願望だ。正直に言え。そいつらに元刑事犯人説を消滅させるように頼まれた見返りは何だ?」 俺は伊吹に微笑んでやった。 「な、何の話だ?そんなもん頼まれちゃいないよ。み、見返りもない」 伊吹は露骨に目を泳がせた。 「お前の古傷に触れられたか?定年まで刑事をやっていたければ何とかってお馴染みの話だろ」 伊吹はしばらく黙って、焦った顔をしながら俺を睨みつけていたが、 「わかったよ。詳しい事情は話すつもりはないが、俺はその線で動いている」 と渋々口にした。 「警察の威信ってやつか?」 「ああ。警察ってとこがどういうところか、よく知ってるだろ」 「知ってたとして、それがどうした?」 「元刑事とは言え、元警察関係者だ。そいつが無実が確定しているような容疑者、いや容疑者の濡れ衣を着せられたことに世間ではなっている民間人を逆恨みして殺したなんてのは、やはり警察の威信に関わる。とかく警察はそういう話を嫌う」 「今更警察の威信とやらのご機嫌取りのために駆けずり回るのは御免だ」 「気に入らないか?」 「ああ、大いに気に入らないね。俺には今更その威信とやらのご機嫌を取る理由がない」 「…それもそうだ。悪かったな…」 伊吹は諦め顔で肩をすぼめて、ハット帽を被り、立ち上がりかけた。 「だが」 俺はゆっくりコーヒーを飲み干してから口を開いた。 「何だ?」 「その調査は引き受けることにするよ」 そう言うと、伊吹は驚いた顔をした。 「本当か?いいのか?」 「ああ。威信とやらのご機嫌を取るのは真っ平御免だが、俺は俺で、その元刑事のシロの線に賭けてみるよ」 「そ、そうか!そ、そうだよな、シロの線もあるよな。それじゃ、よろしく頼むよ」 伊吹は不自然な愛想笑いを浮かべてそう言った。 「お前、元刑事がシロだなんて本当は露ほどにも思ってねえだろ」 俺は核心を突いてやった。 「い、いや、俺はその線で動くよう指示された。だからそれでいいんだよ」 伊吹はまた不自然に苦笑いした。 「相変わらず調子のいい野郎だな。その代わり、お前が飼い主から見返りを貰えたら、割増の調査費用を後金で請求するからな」 俺は俺で主張するところは主張した。
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