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ヒールを履いて彩花は更衣室から出て売り場に入る。 おはようございます。そう言おうとしたが金木さんが接客中なので黙ってPCに向かい出勤入力をする。 時給制なのだ。美容部員は正社員になれることはほとんどなく、彩花は大阪にある百貨店の契約社員の美容部員だ。ビューティアドバイザーともいうらしいが、彩花にとってはどっちでもいい。 中学生の時に友達と百貨店の化粧品売り場に初めて入った。全てがキラキラしていた。お小遣いでグロスを1本買った時に将来はこんな仕事するんだと心に決めた。 美容部員になって3年。先輩には憧れるがパワハラがすごい。後輩は可愛いが、なかなか言うことを素直に聞いてくれない。ありがちではある。彩花には役職の肩書きがないから中間管理職ではないが似たようなもんだろうと彩花は思っている。見た目が華やかな職業ほど、現実とのギャップは激しい。でも彩花は仕事に誇りを持っていた。 彩花の年齢は28歳。そう、まぎれもなく彩花はアラサーだ。3年前に勤めていたエステ会社が倒産したのだ。だから美容部員に転職した。彩花の武器は美容に関する知識しかなかったので転職サイトで自然と美容関係を検索していた。 アラサーがなんだ。三十路の何が悪いんだ。何も悪くない。でも年齢を重ねるごとに女は失うものが多すぎる。 バックヤードに入ろうとすると、お尻がバックヤードから出てきた。 おはようございます川田さん。そう言いながら彩花は苦笑いする。先輩の川田さんも苦笑いしながらおはよう松井ちゃん、と彩花に言い、先週新発売の美容液を金木先輩のところにそそくさと持っていく。 あぁ、あの2万円近くする美容液が売れたのか。金木さんは店内一のトーク力だから当然か。バックヤードの奥には辻井店長がいた。 彩花は緊張しながらおはようございます、と挨拶をする。 辻井店長は背が高くほっそりとしていてスタイル抜群で彩花より1つ歳上だ。顔は可愛いと言うよりは美人でいわゆるモデル系だ。街を歩けば10人中8人は振り返るだろう。すぐ怒るし厳しいが仕事ができるカッコイイ女性だ。 辻井店長は狭いバックヤードの奥で売上計画表とにらめっこしながら彩花におはよう、と素っ気なく返事をする。ほっとした。今日はまだ機嫌は悪くなさそうだ。 なるほど、奥に店長がいたから川田さんは気を使ってそのままバックしてきたんだなと彩花は察した。 彩花が勤めている化粧品メーカーは大手ではない。人気は大手外資系に集中する。だから百貨店もうちのメーカーには場所を取らせない。資生堂やLANCOMEのスペースの半分以下なのではないだろうかと思っている。 以前、辻井店長からお店の広さは3坪と聞かされた。坪や平米にはぴんとこないが6畳分くらいらしい。そこに接客スペースとバックヤードを詰め込んでいるのだから当然バックヤードは泣きたいくらい狭い。 ただでさえバックヤードは化粧品やスキンケアの在庫がビッシリと詰まっている。人ひとりでも狭い。そこに繁忙時は同時に2人、いや3人入る時だってある。どうにかしてくれと毎日思う。 ディスプレイに足を止めた新しいお客様に向かって彩花は満点の笑みを浮かべながら近づいていった。 今日はまだ残業20分か…もう少し残業したいと彩花は思う。残業すれば給料がその分上がるから当然だ。しかし無駄な残業を会社も店長も許してはくれない。 勤務時間の8時間は過ぎたが後輩で早番のめぐみん以外はまだ誰も退勤していない。そろそろ川田さんが退勤しようとした瞬間にお客様がどっと来た。よくあることだ。彩花は心の中でガッツポーズをしながら接客をしていた。 ひと息着いたところで辻井店長が川田さんに退勤するように言った。 するとそっと先輩達の目を盗んで川田さんが、松井ちゃん今日も行っとく?とこっそり笑顔で話しかけてくる。彩花はもちろん、と返事をすると川田さんは嬉しそうに売り場を出て更衣室に入っていった。
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