信夫を送る

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信夫を送る

バス停から降りた俺は懐かしい道を歩んで、式場まで向かっていた。 白い空を鳥たちがどこかを目指し飛んでいる。 こういう薄暗い日に弔いがあるのは、結構心身に響く。 それが幼馴染のものならなおさらだ。 体調を崩さないよう気をつけなきゃな。 ……葬儀場に着くと、入口には『河野信夫様のご葬儀』と書かれた幕が掲げられていた。 中に入ると壇上に棺が置かれている。 すでに参列者が皆座って泣いている。 e2768d00-81c4-45b0-bb18-5f31e3714aaa 俺は献花台に花を供え席に座る。 隣には、信夫のお父さんが座っていた。 「正博くん。来てくれてありがとう」 「おじさん……ついに、この日が来ちゃいまいましたね」 苦笑しながら信夫のお父さんは言った。 「……あいつ、馬鹿だよな。親の俺より先に逝っちまうなんてさ……君が東京から駆けつけてくれて、あいつも喜んでくれると思うよ」 俺は、何も言えずただうなずくだけだった。 「きみと信夫は幼稚園の頃からの仲だもんな、ほんとにいろいろありがとうな」 信夫のお父さんが頭を下げてくれる。 「とんでもないっす。お手伝いできることがあったらやりますよ、なんも問題ないっすか?」 「それがねえ……」 そこで信夫のお父さんは少し顔を曇らせた。 そして小声で言った。 「実は、肝心の信夫がまだ来てないんだ」 「えっ?」 俺は呆然とする。 「あいつ、今日の主役なのに」 お父さんがいら立っているのがわかる。 「今どこなんすか信夫は」 「それがわからないんだ。この三日間連絡がとれないんだよ。大学の寮にも帰ってないらしい。だから、とりあえず棺にマネキン人形を入れて形だけ取り繕ってるけどさあ」 おれは 苦笑した。 「あいつらし……」 「まったくこの忙しいのにどこでなにしてんだか……もしかして、あいつの身になにかあったんじゃあ……」 だんだん俺も不安になってくる。 ……うしろのほうで扉が開く音がした。 振り向くと、そこにはアロハシャツを着た信夫が立っていた。 「なんか……遅れてすいません」 信夫が言った。 どよめく会場内を信夫はおどおどしながら歩いてきた。 「よお、正博」 信夫が俺に声をかけた。 「よおじゃねえよ。どこ行ってたんだよ」 俺は半ギレしながら言う。 「見りゃわかんだろ。ハワイ」 「事故や事件に巻き込まれて、どっかで死んでんのかと思ったよ」 「なわけねーなわけねー。……向こうで泳いでたら急に領事館から電報が来たからあせったよマジ」 信夫のお父さんが呆れている。 「なにやってんだ! 今日がおまえの葬式って前々から決まっていただろう!」 「いや……俺予定見間違ってて……来年の一月だと思ってたんだよ」 全く……。 葬儀業者が呆れ顔でやって来た。 「信夫様……。装束のほうをお着付けしますので、早くこちらへ」 「あ……すいません」 信夫がおどおどしながら業者について控え室に入っていった。    ×  ×  × ……まったく、久々に会ったってのに正博も親父もつれねえぜ。 苦笑しながら白い装束を着せられて椅子に座る俺。顔面に、葬儀屋がお白粉を塗りたくってくる。 こういうの、本当めんどくせえ。 「はい、あんまり顔を動かさないで」 「はいはい」 ドンドン、とドアを叩く音がする。 「だれですか」 葬儀屋が来訪者に言う。 ドアが開き、さゆりが入ってくる。 「信夫くん……」 ううわ。マジかよ。 心の準備できてねえ。 しかも俺顔白塗り。 「さゆり……」 「今日、出棺なんだってね」 「ああ」 「知らなかった……」 俺は葬儀屋に向かって言う。 「……すいません。葬儀屋さん、少しだけ、席を外してもらえませんか」 うんざりした顔の葬儀屋。 「……五分だけですよ」 そう言い、葬儀屋のおっちゃんは、頭を振りながら部屋を出て行った。 部屋には、俺とさゆりだけだ。 つきあってたあの頃がずいぶん昔に感じる。 さゆりは、ぜんぜん変わってない。 「信夫くん、顔、白っ」 「しょうがねえだろ」 「……変なの」 静かに微笑するさゆり。 「うっせ……」 苦笑するしかない。ああめんどくせえ。 「……なんか去年学生結婚したらしいじゃん」 さゆりがうなずく。 「うん」 「おめでと」 「……ありがとう」 さゆりは笑顔だ。 ならいい。 「どうなん? 今の彼氏、つーか旦那さんは」 「……いい人、だよ」 「そう。……よかったじゃん」 「……信夫くん」 「あ?」 急にさゆりがはにかむ。 「向こうに行っても、忘れないでね。私のこと……」 また俺は苦笑する。 「……馬鹿。それはこっちの台詞」 俺たちはしばらく無言のままそこにいた。 俯いたまま、俺は言った。 「……じゃあ、な」 「……ていうか、顔、白ッ」 さゆりは顔を手で押さえ、部屋を出て行った。 その後姿を、俺は静かに見つめる。 彼女の声は最後まで明るかった。でもそれは無理に出した嬌声のようにも聴こえた。 葬儀屋が再び入ってくる。 「もう、よろしいんですか?」 「……ええ」 「……じゃ、、またお化粧のほう続けますよ」 「どうぞ」 視界の端にある柱時計が、ゆったりと時を刻んでいる。 「……なんか、今日死ぬとかあんま実感ないんスよね、正直」 「皆さんそうおっしゃいます」 「やっぱそうスか」 「ええ」 葬儀屋が筆をいったん台の上に置く。 「……昔は、人が本当に死んでから葬式をしていたそうですよ」 「えっ? じゃスケジュールが合わなくて葬式に来れない人とかいたんじゃないスか? そんな計画性なかったんスか? 昔の人は。それに、式まで死体をどうしてたんですか? 腐っちゃうじゃないスか」 「ええ。昔の人のやりかたは本当に非合理的でした。……人の生き死にはすごく大事なことです。一番深刻な問題なのに、皆、目を背けていた。重大なことなのに、人々はちゃんとそれを管理しようとしなかった。全部自然のタイミングに委ねていたんです」 「ひゃー。わっかんね。今となったらわっかんないス。もしかしたら、人が生まれるときもそうだったんですか?」 「もちろん。子供がいつ生まれるかは、各家庭の都合や成り行きで決まりまました」 「……カオスっスね~。無理っスわ。俺にはそういうの」 「……でも、もうそういう時代は終わりました。かなりの年月を要しましたがね。私たちは、私たちの人生を、管理しなくてはならないのです。マネジメントというか、コントロールするんです。生きることや死ぬことを自然に委ねるとか、そんな動物みたいなことは卒業したんです、我々は」 またドアを叩く音がする。 「まただ」 いら立つ葬儀屋。 ドアが開き、正博が入ってくる。 「信夫~」 「っておまえかよ!」 「信夫、おまえが生きてるうちに聞いときたいんだけどさあ、俺たち小学二年生のときに夏休みの宿題で、一緒に城の模型作ったじゃん」 「え?」 「姫路城」 「ああ。姫路城」 なんの話だ、これは。俺はもうすぐ死ぬんだぞ? 「あの大作、どうした?」 正博は屈託なく聞く。 「は? なにが?」 「俺何回も言ったじゃん! あれ探してくれって。実家の倉庫にあるから今度探すっておまえいつも言ってたじゃん」 「ああ、悪い。完全に忘れてた」 正博がまたキレそうになりながら言う。 「おまえよ~。ああいうの俺結構大事派なんだよ」 「おまえがうちの倉庫を探してくれよ」 「ったく。早く支度済ませて来いよ、みんな式場で待ってんだよバーカ! おまえなんか早く死んじまえ!」 正博が出て行く。 ドアがバタンとしまる。 葬儀屋が半ば呆れ顔で言う。 「なんですかあれは?」 「いや……バカなんスよあいつ」 俺は寂しげに笑う……。   ×  ×  × 身支度を整え、最後に、あの三角の布、あれなんていうの? 知んねーけど、あのヒラヒラを額につけて、俺は会場に入った。 焼却炉の前に置かれている棺をみんな、囲んで待っていた。 葬儀屋がみんなに言う。 「では、出棺のお時間です」 白装束のまま、俺は棺に近づいていった。 みんな深刻な顔をしてやがる。 その中に正博の顔が見えないことに気づいた。 どっかで油でも売ってんだろ、最後の最後まであいつには呆れさせられるぜ……。 俺は棺の中に入り横たわる。周囲で友人や親戚たちが泣き喚いてる。 「信夫―」 「信夫くーん」 まったく騒ぎすぎだよ。もっと普段から俺を大事にしとけっつーの。 みんな、棺の小窓から最後に一目俺を見ようと中を覗き込んでくる。 俺は神妙な顔をして無言のまま目を瞑る。 業者たちが棺を焼却炉の中に入れていく。 火葬場中にみんなの嗚咽が広がる。 棺の中に暗闇が満ちる。 ……はああ~。これで終わりか。 長かったような短かったような……。 カチッと音が鳴る。 来た! ゴーッ、ゴーッと炎が吹き出る音がする。 ……火ってどんなものだろうな。 昔はだれでも火を使えたらしいけど、今じゃここでしか見れないからな。 ……うわ、この明るいのが火? あ、こういうのが火? へええ。……って、あつ。 ……やっぱ火って、あつ。 …………ちょ、ま、あつ。 …………ちょ、ま、あつ。 ……え? ちょ、ま、え?  ちょ、あつ! え? ちょ、あつ! あーっつッ!!、ちょ、ま、無理無理無理無理!! ちょ、ま、お父さんお母さん、無理無理無理無理!! あつッ、あーッつッ、 ちょ、ま、無理無理、あーつッ、あつッ、あーーーーッつッ!! 激しく燃え盛る炎の音が俺の声を奪っていく。 その響きを俺はいつまでも聴いている。   ×  ×  × a3e8d19f-518a-4529-8d07-556649a0cf88 ……アスファルトの上で一人で缶コーヒーを飲みながら、俺は火葬場の建物を見ていた。 煙突から煙が昇っていく。 ノブオ・ゴーズ・トゥー・ヘヴン、か……。 火葬場のドアから女の人が出てきてこっちに歩いてくる。 信夫のお母さんだった。 「正博くん……」 お母さんは風呂敷のようなものをさげて俺に近づいてくる。 「……すいません、俺、ああゆうメソメソした場って生理的にムリで」 「いいの、いいのよ」 「……本当に、惜しいやつでした」 「正博くん。信夫と小さい頃からずっと仲良くしてくれて、ありがとう」 「いや……」 「実は、信夫があなたに、式が終わったらこれを渡してくれって……」 ……そう言い、信夫のお母さんは俺に風呂敷包みを差し出した。 「ここに来る前に、実家から持ってきたって言ってたけど……」 俺は震える手で風呂敷をほどいていく。 中からガラスケースに入ったいびつな城の模型が出てきた。 ケースに貼られている名札には『二年一組 正博&信夫』とたどたどしい字で書かれている。 その横に、メモ用紙が貼られてある。 それには、信夫の字で 『こんなクソくだらねえもんにいつまでもこだわってんじゃねえよバーカ。おやじとおふくろのこと、よろしくな by俺』 ……と書かれている。 あいつらしいわ。 苦笑するしかない。 ……そのとき、自分の頬を初めて一筋の熱いものが伝っていったことに、俺は気づく。 (了)
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