豊の為に

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その蘭子の姿を、皆川は、広げた紙に一心不乱に写し取った。 二時間ほど寝て、目覚めた蘭子は「先生、ちょっとだけって言ったのに」と、頬を膨らませて言った。 「おや、あれが私のちょっとだよ」「嘘」 「じゃ、ちょっとじゃ無い方も、してみるかい」 蘭子は、可愛い舌を出して「や~ですよ~だ」と言った。 「ふふ、なんて可愛いんだろうね、もう、二度と君を抱く事は無いと 諦めていたのに、本当に、嬉しかったよ」 皆川は、そう言って蘭子を抱きしめた。 大京テレビのプロジューサー瀬川の携帯に、メールが入った。 発信者を見て「何だって?」瀬川は驚いた、遼だった。 「そんな馬鹿な」慌てて開いてみると 「私は、佐々木遼の妹です、追悼式の事について お話ししたい事が有ります、お時間を作って下さいませんか? なお、この事は、どなた様にも、ご内密にお願い致します」と、有った。 「妹だって?」母親の事は知っていたが、妹など、聞いた事も無い。 瀬川は、パソコンに向かうと「遼」と、打ち込んだ。 遼に関する、全ての映像が出て来た、その中の葬儀の画面を選び 隅々まで見たが、妹らしき姿は、全く見つからなかった。 「おかしい、妹なら葬儀に出ている筈だが」瀬川は、首を傾げた。 追悼式は、大京テレビが手掛ける事になっていた。 ワイドショーのコーナーに、毎週、遼が出演していたからだ。 どんな追悼式にするか、遼の友人だった瀬川を中心に 話し合いが持たれたが、良い案は無かった。 遼が出演していた個所の映像を流し、一緒に出演した人を招き 思い出を語って貰うと言う、今までやって来た事の 繰り返ししか無い所だった。 もし、この妹が出演してくれたなら、これ以上の事は無い。 瀬川さえ、その存在を知らなかったのだ、予告で、この事を少し流せば どんな妹なのか、遼に似ているのか、妹なら、今まで聞けなかった 遼の素顔が、聞けるかも知れないと ファンや視聴者が、熱狂するのは、目に見えていた。 瀬川は、直ぐに承諾の返信を打ち、会う事を決めた。 翌日、待ち合わせの場所にいる、瀬川の横に、す~っと一台の車が停まり 出てきた運転手が「瀬川様ですね、どうぞ」と、頭を下げドアを開けた。 その運転手は、あるマンションの十階に案内し「瀬川様です」と 声を掛け「どうぞ」と言う声に、ドアを開けて瀬川を中へ入れた。 玄関には、花のように美しい女が立っていた。 女は、深く頭を下げ「お忙しい中、本当によく来て下さいました 有難う御座います、どうぞ、お上がり下さいませ」と言った。 これが遼の妹だと、直ぐに分かった、よく似ている。 瀬川の胸は、高鳴った。 仕事柄、今迄美人と言われる、タレントや女優など 数多くの女を見て来たが、これ程美しく、心を揺らされる美人は初めてだ さすが遼の妹だ、ただ美しいだけでは無い、人を引き付ける 物凄い、オーラが有った、遼が、何故この妹を隠していたのか 分かったような気がした。 この妹を、人目に晒せば、自分と同じ様になると思っていたんだろう。 遼の苦悩は、瀬川もよく知っていた。 勧められたソファーに座り、その姿に見とれる。 「うふふ、少しは、兄に似ています?」 そんな瀬川に、悪戯っ子の様な、無邪気な顔になって聞く。 「え?あ、はい」ドギマギする、しっかりしろ、仕事で来たんだぞと 自分で、自分に言い聞かせる。 「どうぞ」と、出されたのは、ワインだった。 「あ、仕事中ですから」と、断ると「大丈夫ですわ、ほんの少しですもの また、高倉が送って行きますから、ねっ」と、顔を覗き込む。 奮いつきたくなる様な、妖艶な大人の女の顔だった。 更に、胸の鼓動が早くなる「で、では遠慮なく」飲んだワインは 瀬川が、最も好きなフランス産のワインだった。 乾いた口の中が、喜びで潤う、一緒に出されたチーズも 瀬川が大好きな物だった、何で俺の好きな物を?ただの偶然なのか 「貴女は、飲まないのですか?」と、聞くと 「ごめんなさい、私、アルコールを受け付けない体質なんです」と言う。 俺の為だけに、わざわざこのワインを買ったのか、そんな瀬川の顔を見て 「だって、瀬川さんは、兄のたった一人の親友ですもの」と言う蘭子は 兄を思う、優しい妹の顔になった。 瀬川が、ワインを飲み終わると「では、お話しを」 きりっとした、仕事の出来る女の顔になる。 この人、幾つ顔を持っているんだ、まるで女優じゃないか。 そう思った瀬川も、気持ちを仕事モードに切り替えた。 そこで、まだこの人の名前も聞いていない事に気付き、慌てた。 会った時に、すべき挨拶を忘れていたなんて、入社して以来初めての事だ 「申し訳有りません、大変失礼な事をしてしまいまして」詫びる瀬川に 「あら、私も久しぶりにお会いしたのが嬉しくて すっかり忘れていましたわ」と、名前を告げた。 「いえ、お会いするのは初めてです、こんなに美しい人に会って 忘れる筈は有りません」そう言う瀬川に、蘭子は立ち上がり 「ドイツで、お会いしましたわ」と、花魁の歩く真似をした。 瀬川は、目と口を大きく開け「あ、あ、あ」と、驚愕の声をあげた。 瀬川たちが、血眼で探し回っていた、あの花魁が目の前にいた。 あの花魁の、人を引き付ける物凄いオーラは、花魁の化粧と 衣装の所為だと思っていたが、本人が持っているオーラだったのか。
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