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そんな高倉に「そう言えば、身内以外で、私と最も長く一緒に居たのは
お前だな」と、蘭子が言った。
「光栄で御座います」そう言う高倉を、蘭子は胸に抱き入れた。
「蘭子様」高倉は驚いた顔をしたが、そのまま蘭子の胸に、顔を埋めた。
「高倉、最後の教えだ、よく聞け、お前が、くたくたに疲れて
奥さんを抱く気力もない時、何もしなくて良いから
こうして抱きしめてやれ、お前が疲れているのは、見れば分かる。
でも、奥さんは、昼間辛い事が有ったかも知れない、その話をしたくても
疲れている、お前に遠慮して何も言えないだろう。
だが、こうして抱きしめて貰えば、私を愛してくれている人が
ここに居ると安心する、奥さんの手を握って、撫でてやるだけでも良い
奥さんの、辛い気持ちは癒されるはずだ。
俺が愛しているのは、分っているだろうと、思っていちゃ駄目だぞ
分かっていても、何もしてくれないと、不安になる。
触れ合って、何時も有難うと、自分の感謝している気持ちを伝えないと
奥さんの心は、いつか離れる」蘭子は、高倉の頭を撫でながら
幼い子に言い聞かせる様に言った。
「はい、最後の教え、肝に銘じます」高倉は、そう言った。
最後に、こうして抱いて貰えるとは、思ってもいなかった。
高倉は、嬉しかった、これでもう、思い残す事は無いと思った。
「では、私はこれで」高倉が帰ろうとすると「高倉、卒業証書だ」と
蘭子が、バックの中から、紙きれを出して渡した。
怪訝な顔で、それを見た高倉は、顔色を変えた、一億の小切手だった。
「なんという事を、いけません、卒業証書だなんて
私は、授業料さえ払っていません、これは、受け取れません」
「じゃ、退職金だ、これで自分の会計事務所を作れ
その代わりと言っては何だが、いままで通り
私の財産と、お墓の管理を頼む」「蘭子様」高倉は泣いた。
「泣くな、お前は、私のなんだ?」「はい、一生蘭子様の奴隷です」
「じゃ、主人の私の言う事は、聞かなくっちゃね」と、蘭子は笑った。
「有難う御座います」高倉は、小切手を押し頂き
涙を拭きながら帰って行った。
次の日の朝早く、昌紀に予約していた蘭子は、シャンプーをして貰った。
いつもの様に「痒い所は御座いませんか?」と、昌紀が聞く。
その声に、そっと蘭子は、口の上の布をめくった。
昌紀は、はっとした、今日が最後なんだ、蘭子は、どこかへ行ってしまう
そう思った、胸が一杯になった、あの日の様に、唇を重ね軽く吸う。
洗い終わって、顔の布を取ると、蘭子は泣いていた。
凍えていた蘭子の心を、何時も温めてくれた、この大塚とも
もうお別れだと思うと、やはり涙が零れた。
昌紀は、優しく涙を拭くと「門出に、涙は禁物だよ」と言った。
「そうね」蘭子は、にっこり笑った。
ブローが終わると、昌紀は蘭子を抱きしめ「幸せになれよ」と言った。
「任せて」蘭子が応える、昌紀は、更に強く抱くと、長いキスをして
「行ってらっしゃい」と、いつもの見送る声で言った。
「行って来ます」蘭子は、晴れ晴れとした顔で言った。
店を出ると、高倉が待っていて「蘭子様、どうぞ」と、ドアを開けた。
蘭子は、車の窓を開け「皆さんに、宜しくね」と、昌紀に手を振った。
走り出した車の中で「飛行機の出発は、何時?」と聞く。
「はい、10時、50分で御座います」「そう」
蘭子は、携帯を取り出して「10時50分の飛行機で帰ります」と
俊介にメールをしたが、俊介からは、何の返事も無かった。
漁に出ているのか、もう、待ってはいないのか、それならそれでも良い。
それも私の運命だ、とにかく、行くだけは行こう。
車は空港へ着いた「じゃ、後の事は頼むよ」「お任せ下さいませ」
その時は、笑顔で見送った高倉だったが
送迎デッキでは、ぽろぽろと涙を零しながら、蘭子の飛行機を見送った。
一時間半で、懐かしい、あの青い海と緑の山が見えた、心が躍る。
バスや、列車を乗り継ぐ時間は惜しかった。
空港から、そのままタクシーを飛ばそうと、出口まで来ると
「蘭子~」懐かしい声で、名前を呼ばれた。
「俊っ」蘭子は吃驚した、どうして?という思いは置いて、駆け出す。
「俊」「蘭子」二人は抱き合った、毎夜、恋い焦がれた逞しい腕が
がっしりと、蘭子を抱える。
「俊、俊」涙が溢れる「良く帰って来たな」俊介の目にも、涙が浮かぶ。
「どうして?」「ああ、高速道路が開通したからな、二時間で来れたんだ
でも、間に合うかどうかの、ぎりぎりの時間だったから
メールを返す時間も惜しんで、走って来たんだ」「そうだったの」
俊介も、一刻も早く、蘭子に会いたかった。
「荷物、これだけか?」「うん」俊介は、蘭子の荷物を持ち
蘭子の手を引いて、駐車場に行く、そこには、蘭子の青い車が有った。
「あっ、私の車」「ああ、こいつも、久し振りに、蘭子に会えて
喜んでいるよ」車に乗った二人は、また抱き合い、長いキスをした。
「俊」蘭子は、俊介の胸に顔を埋めると
「私、もう、貴方だけのものになったの」と言った。
「本当か?本当に俺だけのものか?」「ええ、もう全部終わったの」
「もう、東京に帰らなくて良いのか?」「うん、ずっと俊の傍に居るの」
「蘭子」俊介は、喜び一杯で、強く蘭子を抱きしめ、またキスをした。
「ねぇ、もう桜咲いてる?」蘭子が聞く。
「ああ、今年は早く咲いた、桜も、蘭子を待っているが、待っているのは
桜だけじゃない、咲も、杉浦の皆も、蘭子の帰りを待っている」
あの美しい桜が、優しい咲が、温かな杉浦の皆が、待っている、、、
そこへ帰れるのだ、帰れる場所が有る幸せ。
待っていてくれる人が居る幸せ、蘭子の胸は、幸せではち切れそうだった
「一緒に、幸せになろう」そう言った遼の願いは、やっと叶ったのだ。
「さぁ、帰るぞ」一番、蘭子を待っていた俊介が、そう言って
二人が帰る町へ向かって、車のアクセルを踏んだ。 (完)
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