どうぞ傷跡を重ねて混ぜて

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教官という職に就き、かれこれ二十年以上が経つ。 自分がこの仕事に向いているかどうかは未だにわからないが、何の業務が苦手かは流石に、嫌でも理解するようになった。 そして今日、その不得手な業務を一つこなす為に、俺は支部局に今訪れている。教会の次に街で大きな建造物のその一角、過剰に装飾の施された扉を殴るように叩いた。 「どうぞー」 気の抜けた声に導かれて、扉を開けたその先で、部屋の主は鏡に向かい何やら珍妙なポーズを取っていた。 その服飾も何やら極彩色の羽飾りや金糸の刺繍があちこちにあしらわれており、全体として煌びやかだが乱雑な印象だ。 「呼出があったと聞いて馳せ参じたわけですが、局長。お邪魔でしたらまた日を改めますが」 「気にしないでおくれ。もうすぐ終わるから、そこに座ってくつろいでいたまえ」 そう言って彼が指差した先には、奇怪としか言いようのないソファがあった。鮮血のように真っ赤なクッションと、幾何学的な曲線を描いた金属製の背凭れが奇跡的に噛み合っているようで噛み合っていない。どう見てもドワーフ用ではないそれに飛び乗ってみたものの、やはり座り心地は最悪だった。 なんとか腰の落ち着く座り方を見つけた時に、彼の方もちょうど何かの区切りがついたらしい。鏡の前から、俺の方へと向き直った。 「お待たせしてすまなかったね。君が来るまで、次の舞踏会に向けた衣装の仕立てを行っていたんだが、思ったよりも時間がかかってしまった」 ローテーブルを挟んだ向かいに座った彼は人間の中でも高身長で、こうして対面するとどうしても少し見上げる形となる。その度いつも、些か屈辱的に思ってしまう。いや、職制で見れば彼は紛うことなき俺の上司であり、上下関係としては何も問題ないのだが。 「その服、ご自身で仕立てたのですね……舞踏会があるのは、二ヶ月後の夏至祭ですか?」 「いや、それまでにもいくつかあってね。昨晩も一件あった。これだけ宴が多いというのは平和の証左なのだろうが、いやはや。えらく肩が凝るものだな」 そう言いながらも、疲労を少しも見せずに彼、シールディフン局長は歯を見せて笑った。 ギルド支援庁の南方面支部局長という役割の他に、第十八位の貴族の家長としての役割も彼にはある。後者の役割においては人脈づくりや、王国内での適切な立ち位置の確保が何より重要だ。それゆえに彼らの集う社交の場へ仕事の合間に出ることは立派な彼の仕事の一つというわけだ。 そして、そうした政治的側面での彼の尽力により、この南方面支部局は支援庁の中でも、信頼を培ってきた組織となっている。そしてその信頼ゆえに比較的広範な自治を許されているのであり、俺のような偏屈がいられる組織でいられるわけだ。 「局長には頭の下がる思いですな。俺ならとてもできない」 「それも君たち教員の精力的な働きがあってのものさ。いつも有難う」 深く頭を下げながら伝えるその謝意に、俺は落ち着かない気持ちになる。この男は身振りこそ大袈裟であるものの、その言葉が本心からのものであることは、長い付き合いから知っている。知っている分、タチが悪い。俺がこの人と関わる仕事を苦手とするのは、例えばこういうところだ。 「それで、俺を呼び出した用件、さっさと済ませてしまいましょうよ」 「ああ、そうだった。今年の卒業試験の受験候補者の提案書、君から先日提出されたものを見たのだがね」 「はあ」 何のことかわからないという風に、気のない返事をしてみる。局長はそんな俺の挙動を食い入るように見つめ、満足そうに頷いた。 「何ですか、その反応は」 「いや何、ヤマジロ先生はそつがないというか、冒険はあまりしない堅実派だと思っていたが、中々どうして」 彼はテーブルの上の封筒から何枚かの紙片を取り出す。俺が書いた受験者のリストだ。 「君が今年推薦する受験候補者は三名で、まず一人目はキリヤトゥス、種族はエルフ。気負いすぎて空回りした結果、昨年は落第したが、まあ今年は受かるだろうね。二年続けて受験失敗なんて、彼のプライド的に到底受け入れられまい」 「ええ、頑張りすぎて直前に体調を崩したりしない限り、問題ないでしょう」 苦笑しながら俺は言う。局長は次の紙を捲る。 「そして次にザルギア、種族はリザードマン。今回初受験だが、ギルド研修生としては最年長だよね。慎重な性格から受験することを中々渋っていたと認識していたが、ヤマジロ先生の渾身の説得で今年は試験を受けることになったんだね」 「渾身だなんて大袈裟な。いい加減試験を受けて独り立ちしないと追い出すって脅しただけですよ。まあ経験が長いだけあって実力は確かですし、おそらく合格するでしょう」 「なるほど、なるほど」 シールディフン局長は笑って頷きながら手元の紙を捲り、三人目の候補者の頁を表にした。 「最後はフィーフィー、種族は猫人」 資料を捲り上げた姿勢のまま、局長は再び俺を値踏みするかのように見つめる。 「どうかしましたか?」 「どうして今回の候補者として彼女も推薦したのか、君の意見を聞きたいな」 「むろん、彼女が研修生の中で頭一つ抜けて優れているからですよ。交渉力、危機管理能力、そして戦闘力。いずれを取っても一線級だ」 「確かに、彼女の話はよく聞くよ。その上で性格も嫌味がなく、同窓からも疎まれるようなことがないとも。だが卒業試験を受けるにあたって問題を一つ挙げるとすれば、彼女はまだ年次が浅いということだね」 「年次が浅い、ですか。確かに彼女は研修生としては二年少ししか在籍しておりませんが」 「そう。卒業試験を受けるのは一般的に三年目の後半以降が一般的だ。それを一年前倒しで受けさせるというのは中々に異例なことだ」 「確かにそうです。しかし、三年目以降でなければ受験資格がないという決まりはありません。そもそも、たった一年程度の話だ」 「そう、そこだよヤマジロ先生」 指を鳴らしながら、局長はしたり顔で俺を指差す。 「たった一年のこと、待ったところで何も変わらない時間だ。それでも君は彼女の卒業を急いでいる。その理由が気になるのだ」 そう問われて一瞬、ほんの僅かだが俺は呼吸を乱す。それに気づいたのだろう、頬を綻ばせて局長は語る。 「ヤマジロ先生、さっきも言った通り君は堅実派だ。こんな風に根掘り葉掘り聞かれるのを避ける為に、いつもの君なら一年前倒しで教え子に試験を受けさせることなんてしない」 「そんなことはないでしょう。必須カリキュラムが終わって、教えることがなくなれば」 「教えることがなくなる、君がかい? 二年前、その時点でも全てのカリキュラムを修了していたザルギアの担当を君に変えたのは伊達や酔狂じゃない。君ならそんな彼にもまだ教えられることがたくさんあると思ったからだ。実際、それから彼の剣技には深みが出た。技だけでなく、臆病な性格もだいぶ改善された」 「それは随分、買い被り過ぎですよ」 適当な言い訳を続けようとする俺の前に指を突き出し、それを左右に振って黙らせる。 「そう、それが君のスタンスだ。殊更に能力を顕示せず、地位を求めず、淡々と丁寧に教え子らに向かう。なのに彼女、フィーフィーのことで君は今回冒険をした。他の人からすれば大したことではないかもしれないが、僕に取っては興味深いことだよ。さて、もう一度聞こうか」 局長のぎょろりとした目から、いつの間にか視線を逸らせないでいる。 「今回彼女を候補者に選んだ本当の理由は何かい、ヤマジロ先生?」 彼の言葉に促されるままに説明したくなる誘惑を抑えて、俺は頭を振る。 「……さっき言った通りです。俺から言えるのはそれだけだ」 「そうか、残念」 局長はついと指を上に向ける。すると先ほどまで感じていた重圧が一気に薄らいだ。 「局長、今まさか魔法を使っていませんでしたか?」 「何だい、今ようやく気づいたのかね」 その悪びれない物言いにどっと疲労がのしかかる。勢いのまま、目の前の男を張り倒したくなるのをすんでのところで堪えながら、俺は唸るような声で彼に不平を伝える。 「そういうタチの悪いお巫山戯は止めて下さいって、いつも言っているでしょうが」 「ふふ、すまなかったな。普段より少し余裕のなさそうな君が珍しくて、つい楽しんでしまった」 局長は立ち上がり、小さく伸びをしてから俺を見下ろす。 「まあ、さっきの魔法でも口を割らないというのであれば、何やらやましいことや犯罪に巻き込まれているといったことではないんだろう。先程のは、心の内にある罪悪感や不安感を増幅させる術式だからね。返す返すも、残念なことだよ」 「良いことではないですか、部下に二心ないことが確認できて。それなのに残念とは」 「まさしく残念だよ。君はどの傑物が私を打倒して、この組織の手綱を握ってくれるのであれば、より我がギルドは栄え発展するだろうに」 心底口惜しそうに呟く彼の考え方が到底共感できず、俺は深く考えずに返答することに徹する。 「乱世の奸雄が如き発想ですな」 「教育の場とは常在戦場だよ、ヤマジロ先生」 そうやってまた哄笑する彼を見て、改めて尊敬と、そして同じ質量の忌避感が胸中で膨らむ。 ーー全く、本当に苦手だ。
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