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「先生、おっすおっすー……って、どうしたの。やけに疲れているように見えるんですけど。失恋でもしたの?」
シールディフン局長との面談を終えた昼過ぎ、たまらなく疲れた俺はギルド管轄の酒場で休息を取っていた。まだ客が入る時間ではないから、店内にいるのはギルドの関係者が数名だけ。そしてその中に猫人の少女、フィーフィーもいた。
疲労困憊の見知ったドワーフを見つけるなり彼女はとたとたと近づき、さっそく憎まれ口を叩いてくる。だが悪い酒のように人を酩酊させる、局長の言葉責めと比べれば随分と可愛らしい。ボロい木のテーブルに突っ伏したまま、俺は彼女の言葉をあしらう。
「うるさい。局長とあれこれ書面周りの手続きをして、そこで少し色々あって、疲弊しているだけだ」
「あー、先生と校長の相性悪そうだものね」
局長のことを生徒達は校長と呼ぶ。確かに教育機関であるから、その呼び方も間違いではない。生徒達にとって『ギルド支援庁南方面支部局』は学校であり、『支部局長』は校長、『冒険者支援教官』は先生だ。
この世界で一般的に学校と言えば貴族の子弟が通う大学か、魔術研究所を指す。そういう上流階級の使う言葉がらこうして市井にまで波及しているのは、それだけ貴族と平民の垣根が低くなったということかもしれない。ギルドに訪れる流れ者のような人々にも教育を施そうとする、シールディフン局長のように聡明な人々の努力の賜物か。
あるいは、『転生者』達がもたらした文化なのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、俺は顔を上げ、目の前の少女に向き合ったーーフィーフィー、俺が知っている十六人目の『転生者』に。
「そういえばフィーフィー、お前を転生させた神様は誰だ?」
「わ、そんな普通の声で話さないでよ。誰かに聞こえるかもしれないじゃん」
周囲を慌てて見る彼女。だが、まばらにいる人々は皆、自らの会話や作業に没頭しており、俺たちの会話はおろか、存在すら歯牙にかける様子もない。
「そんなに気をつけていたんだな。だが前にも言った通り、お前の場合、見る人が見れば一発でわかるぞ、普段の行動から」
「うう、その話はもうやめてってば」
「それで、誰なんだ?」
うんうん羞恥に暫く唸った後、フィーフィーは語る。
「カアル神だよ。あの緑っぽい毛並みの、狼みたいな」
「……なるほどな。ということは自分が転生者であることを思い出したのは、十歳前後になってからだな」
彼女は目を丸くして俺を見る。
「どうしてわかるの?」
「転生させる神様が誰かで方法が違う。カアル神の場合はそのケースだって知っているだけだ」
「本当に転生者オタクだね、先生は」
「……そういうところの脇が甘いんだ、フィーフィー。オタクという言葉はこの世界には存在しない」
「あ、そっか」
俺は深いため息をつく。
「フィーフィー、今年でお前、いくつになる?」
「十六だけど」
「ということは、自分が転生者と思い出してから六年経っているわけだ。それなのに、そんなに脇が甘いと、ギルドから卒業した後のことが思いやられるな」
「そんな哀れんだ眼差しを向けるなー!」
幼い子供のように口を尖らせて不満を言う彼女を見ながら、卒業試験を前倒ししたのはやはり間違いだったかもしれないと少し思う。
「……何だか失礼なこと、考えているでしょ」
勘の鋭い猫人は俺をじろりと睨む。その眼差しを適当にあしらいながら、懐から一枚の紙片を取り出し、テーブルの上に置いた。
「これは何?」
「今年度の卒業試験の受験資格証だ、お前のな」
俺の発言に目を丸くして、ぴょんと彼女が跳ねる。
「本当、私今年受験できるのっ?」
「お前が散々、すがりついてきたから、俺も渋々な。局長に散々いじめ抜かれた末に手に入れたものだ、有り難く思え」
彼女はおそるおそる目の前の紙を取り、食い入るように見る。
「本当に私、来年から卒業できちゃうんだ」
「そうしないと次の公演に間に合わないからな」
あの晩、舞台女優になるという夢を彼女が打ち明けた時、俺は彼女にもうすぐ卒業ができるだろうと言った。通常三年目以降に受けられる卒業試験、その開催は毎年夏至祭の直後と決まっている。
二年目である彼女には、来年受けられるように準備を進めていくつもりだったのだが、彼女にそのことを語ってから大の月が一巡りした頃、折良くというか悪くというか、王立歌劇団より次の公演が告知された。公演の日取りは半年後、その内容ブリジブック卿の本を原作としたものだという。
「私、この公演に関わりたい」
最初、俺は反対した。局長の言った通り、俺は堅実派だ。卒業した教え子達の大半はギルドで依頼を受けることで身銭を稼ぐ、冒険者になる。そこには誰の保証も支えもない。そんな彼らが少しでも生きながらえる為には、臆病なまでの堅実さが何よりも大切だと思っている。フィーフィーは冒険者にならないが、前例がないという面では、あるいはもっと危険な場所に飛び込んでいくのだ。
目先のことばかり考えるのは止めろ、と俺は彼女に言った。嫌だ、と彼女は突っぱねた。
入ったからと言ってすぐに舞台に立てるわけではないのだと説明した。それでも携わることに意味があるのだと言い、彼女は諦めなかった。そんな応酬が四日、五日と続いた。そして六日後に、俺は彼女の意見を受け入れた。
根負けして折れたというわけではない。それが彼女にとって良くない判断であるならば例えどれほど時間をかけても彼女の目指す道筋を遮るつもりだった。
しかし、彼女はその溢れる熱意で俺の説得を図った。受験資格を得るのに必要な、二十日はかかる課題をたった三日で終わらせ、その上で俺を見かける度に懇願、脅迫、交渉を仕掛けてきた。課題を急ピッチで終わらせて疲弊しきっているはずなのに、そのバイタリティの高さは凄まじいものだった。
次第に俺は、彼女の申し出を断る理由を失っていった。彼女は必須カリキュラムを全て終え、卒業の要件をほぼ満たしていた。そして、年次についても、明確な制限を学校側が設けているわけではない。
気づけば俺は、局長に話だけでもしてみようという気になっていたーーいや、その程度の気持ちなら局長の魔法に到底耐えられなかったはずだ。心の底で俺は、フィーフィーに受験をさせてやりたい、と強く思っていたのだろう。だがなぜ、彼女のともすればわがままとも言える願い事を叶えることに躍起になっているのかは、自分でもよくわからなかった。
「あれ、でも先生この紙の上の所。局長の署名が必要っぽいけど、空欄になっているよ?」
フィーフィーはそう言って資格証を指差す。
「ああ、それはな。局長から一つ、条件が課されたんだ。それをお前がクリアしてから、サインをするんだと」
「えー、まだ課題があるのかあ」
へろへろと机に突っ伏す彼女。
「前の課題をクリアしただけじゃダメだったの?」
「すまないな。局長からは選択カリキュラムを一つ、残りの期間で修了することが求められてしまってな」
「いやいや、先生のせいじゃないし、謝らないでよ。まあ試験までまだ時間もあるし、課題の一つくらい、今度もぱぱーってやっちゃうよ」
気持ちを切り替えて、すぐに起き上がる彼女。その切り替えの速さは立派だと相変わらず思う。
「それで、次は何をすれば良いの? 武術大会で優勝、秘境での鉱石採集、それとも賞金首の捕縛とか?」
「いや、局長からお前に課せられたのは、『後続の育成』カリキュラムの修了だ」
想定していなかったのだろう、俺の発言に彼女は拍子抜けしたようだった。だがそれも僅かのことで、すぐに真剣な表情になる。
「ううん、違うね。それだけなら楽勝かとちょっと思っちゃったけど、よく考えたら簡単じゃないよね、その課題。だってそれ、私だけで完結する内容じゃないもん」
そう、『後続の教育』とは、ギルド支援局に入局した一年目の生徒を、先輩として冒険者としてのノウハウを実地で教育することであり、ともすればワンマンプレーに走りがちな冒険者同士の連帯意識の強化と、スキルの横展開を目的としている。この科目の具体的な修了条件としては、『一年目生徒に必須カリキュラムを一つ、修了させること』である。
この課題は三年目の頭頃から皆が取り組むのが慣例となっており、これまでの卒業生は皆、このカリキュラムを受け、修了している。受験に臨む前に、フィーフィーも同じように修めておく必要がある、というのが局長の提示した条件だったわけだ。
「でも、今はもう夏前でしょう。新しい子達の大抵はもう、ペアの先輩がいるんじゃないの」
「ああ。だが一人。今もペアのいない一年目がいるんだ。局長はそいつと組むことをお前に命じている。先方にも話が言っているはずだ」
俺の言葉から不穏なものを感じたのだろう。フィーフィーは警戒を顕にする。
「それって、すごい問題児だったりするんじゃないの。元犯罪者とか」
「犯罪者ではなく、素行も良い方ではあるのだが……問題児と言えなくもない。捉え方によっては」
「何、その含みを持たせた言い方は。ドワーフなんだから、もっと竹を割ったように豪放磊落としていてよ」
「その発言は種族差別だ。気を付けろ」
俺は立ち上がり、酒場の出口へと向かう。フィーフィーは慌てたようにとてとてと俺の後についてくる。
「ちょっと先生、そんなに怒らないでよ。ごめんなさい、気をつけます」
「別に気分を害したから席を立ったわけじゃない。この時間なら、そろそろ会えるかと思ってな」
「会えるって誰に?」
「その件の問題児殿にだ」
ギルド管轄の酒場を出ると、夕暮れの日差しが辺りを一面橙色に染めていた。この町の中心にある教会、その屋根の上にはこの世界の神々を表す五つの柱が真っ直ぐに伸びており、町のどこからでもその威容を見ることができた。今、夕陽は丁度その柱の隙間から顔を覗かせ、俺たちを照らす。町を行き交う人々も時折立ち止まり、同じように神々の象徴たる列柱と、そしてその御業を思わせる夕映えを眺めている。
戦争終結から暫く立ったといっても、傷跡が全て癒えた訳ではない。目に見える傷跡も、見えない傷跡もそこかしこにまだまだ残っている。特に見えない傷はより深く、治りにくい場所に。
だからこそ俺達命ある者は、神々に祈ることで、その痛みを和らげようとする。自分たちの傷跡に、あるいは既に命をなくしてしまった者たちの為に。
夕陽を眩しそうに眺めるフィーフィーをふと見る。彼女の同年代の子達は戦争を知らない。これからそんな世代がどんどん増えて、社会の中枢に携わっていくのだろう。その世の中に、自分の居場所が果たしてあるか、わからない。だが、どっちでも良いように思えた、それが朗らかで優しい世界であるなら。
そして、次の世代の彼女たちに、せめて自分のできることをする。それは、自分が生きる中で学んできた正しいと思われる知識と、それが本当に正しいかを吟味する聡明さを与えること。その為に、俺は彼女を連れて行く、次の学びの場へ。
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