どうぞ傷跡を重ねて混ぜて

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日が沈み切る前に、俺達は町の南東に位置する、蔵書館へと着いた。 知恵の象徴たる烏頭の幻獣、クロウスの紋章が彫り込まれた大きな門戸。強く押し開くと、軋んだ金属音が過剰と思わせる程に響く。感覚の鋭いフィーフィーはその耳を畳んでその音をやり過ごしていた。 蔵書館も酒場と同じくギルドの管轄である。ここにある書物は探索や冒険に関わる知識、例えば草木や魔物の図鑑、あるいは他国の言語や風習に関連した書籍が保管されている。それ以外にも例えば戦記、地方の伝承や民話、あるいは力学や宗教学といった多様な文献が、羊皮紙、樹皮紙、魔物皮紙といった媒体の種類を問わず書架に並ぶ。紙の劣化を防ぐ為に窓は小さく、室内は薄暗いのだが、ドワーフの体質柄、すぐに暗闇に目が慣れた俺はさっさと書架の間を渡り歩く。むろん、後ろの猫人もすぐに闇に順応しているだろうから、振り向き心配する必要はない。 「その人って、蔵書館にいるんだ」 「ああ、半年前にギルドに入ってから先、ずっとここに入り浸っている。最近じゃ司書の次にここにいる時間の長い存在だな」 「そうなの? でも私、たまにここ来るけど、そんな人見たことない」 「あいつは特殊だからな、色々と」 話をしているうちに目的地に辿り着く。蔵書館の奥まった一角、白墨で魔術印が描かれた扉。 「この扉の向こうの部屋に俺達は用があるわけだが、さてその前にフィーフィー君。突然だが授業の時間だ。扉にある魔術印は何を表す?」 「いきなり過ぎだよ。もう少し前置きとか、予告とかちゃんとしていて欲しいな」 そんな風に文句を言いながらも、魔術印をまじまじと見つめ、彼女は答えを探そうとする。 「ええと、外円が一本線の場合が『減少や消失』、二重線は『分割や偏向』。この魔術印は三重線だから、『安定と静止』でしょ」 最初のポイントは正解だ。俺は肩をすくめて、彼女に分析の続きを促す。 「それで、その外円から左右に二本、線が伸びているから、術式の作動範囲は同質の一領域になる。扉に描かれている場合はその向こうの室内などの空間が対象だよね」 淀みなく答えたその内容も正解。やはり、よく学んでいる。 「そして破線で中円があるから、この術式は断続式で、起動と停止に条件があるタイプだ。その条件は紋様のパターンから『越境』、つまり誰かが扉の向こうの空間に入れば起動して、逆に誰もいなくなると止まる。そして最後に目的と対象を示す小円の内側は『水』。だから、この魔術印の表す術式は、『誰かが中に入ると、扉の向こうの水を安定させる』という内容、だよね?」 何だかんだで基礎知識をしっかり押さえており、彼女の推察はどこにも間違いがなかった。俺は大きく頷き、彼女の答えが正しいことを伝えた。 「正解だ。ではフィーフィー君、その情報を踏まえた上で、何故その術式がここにあるんだと思う?」 「えー、問題は一個じゃないの?」 口では不満を述べながらも、満更でもない表情ですぐに次の問題に取り掛かった。 「そもそも、本がたくさんある蔵書館に液体を持ち込むのは危険なのに、この術式は水に関連している。それはきっと、この扉の向こうには例外的に水を持ち込めるんだ。でも本を読む時に、誤って水で本を汚してしまわない様に、『安定』の術式がかかっている。安定化した水は器から溢しても、球状でゆっくり落ちていくし、何かに染み込む速度も落ちるからね」 「そうだな。でもそんな便利な術式を、なぜ蔵書館全体には施さないんだ?」 「それは魔力の基本法則的に難しいから。広い範囲を対象にすると、その分だけ術式の効果は薄まる。安定化は特に広範囲での起動に不適だからだよね」 「では逆に、どうして例外的にこの部屋ではそれが認められているんだ。狭くしたとしても、安定化の術式は万能ではない。術式の中であっても、ゆっくりとは言え水は溢れて、広がっていく。ここの司書さんは規律に厳しいこと、知っているだろう?」 「そうだね……あの人容赦ないもの」 そう言って彼女は身震いをする。かつて何かあったのだろうが、深掘りは止めておく。 「司書さんが許している理由は、これまでの流れからすると、先生が言っていた問題児が関係するんだろうね。わざわざこうやって問題形式で聞いてくるってことは、この魔術印はきっとその人と関係があるんだ」 「まあ考え方としては悪くない。それで?」 「その方向から考えてみると、司書さんが例外的に認めた理由として、大きく三つのパターンがあると思う」 そう言って彼女は指を三本立てる。 「一つ目は、司書さんを納得させないで、強引に押し通した場合。例えば財力や権力で有無を言わさず、ルールを無視してこの場所を用意したとかね。いかにも問題児っぽい感じだけど、そのくせ安定化の魔術印を用意したりとちぐはぐだから、これはなさそう。第一、そこまでの大物が来たら、いくらなんでも私だって知っているだろうし。あと、権力とか振り回しても、あの司書さん動じなさそうだし」 そう言って立てた指の一つを折り曲げる。 「二つ目は、司書さんを百パーセント納得させる程に、本の安全性が確実に担保されている場合。例えばその人の魔力がとても優れていて、完全な安定化が可能であるとか。でも私は、そんな超絶技巧を有する魔術師がこの世にいるなんて聞いたことがないし、ましてやそんな人が近くにいるなんて思えない」 続けて二本目の指を折り、最後に残した人差し指をずいと前に伸ばす。 「最後に残った三つ目は、司書さんは完全には納得したいないけど、そこそこに理屈のある場合。あの司書さんが認めるということは、水の有無が精神安定や生命活動なりに大きく影響するとか。例えば中の人は水がないととても困るとかなのかな。そしてこの可能性が一番ありそうと思うんだな、魔術印の作成とか、いかにも折衷案って感じだし」 「なるほど、その可能性は随分あり得そうだ」 「ふふ、初歩的な推理だよワトソン君」 何やら芝居がかった所作で指を振るフィーフィー。今呼んだ名前も何か、元の世界で由来があるのだろうが、色々と面倒なので聞き流した。 「つまり答えは、『水がないと困る問題児さんが蔵書館で本を読める様にする為』だね、どう?」 「全く、お前は優秀な生徒だよ。こういう時は間違えてくれた方が揶揄い甲斐があるんだが」 「ふふ、残念でした」 そう言って小憎たらしげに舌を出すフィーフィー。 「それで、中にいる人はどんな人なの。それだけ水が大事ってことは、やっぱりドライアドの子とか、あるいは人魚?」 「残念、それは外れだ」 俺はそう言いながら扉をノックする。 「教官のヤマジロだ。入るぞ、アムネロア」 「……彼は部屋に入ることを許可されました。彼とはヤマジロです」 独特な語り口。鈴を転がすような声音。彼女の在室を確認した俺は扉を開けた。
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