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冒険者というのは約百年前に生まれた概念で、この世界では誰もがなれるーー賎業の一つだった。
俺の髭もまだ細く短かった当時、各地は大戦の爪痕で荒廃し、混沌が蔓延っていた。地方権力による民衆弾圧、あるいはそれに対する反乱、飢饉、少数種族の虐殺、略奪などがそこかしこで起きていた。
そんな中で生きる為に汚れ仕事を選ぶものも少なくなかった。例えば、希少種の魔物の密猟、遺跡の盗掘、無主地への侵入と所有権の主張など。そして彼らはいつからかそういった蛮行の数々を、まるで正当化するように『冒険』と呼び、自身たちを『冒険者』と呼んだのだ。
彼らの多くは戦火で家を失った宿無しや、前線で心身に障害を負い、まともな仕事にありつけない人々だった。そんな彼らが生きる上での選択肢は少なく、山賊に身をやつすか、あるいは冒険者となるしかなかった。いずれにせよ、彼らの命の重さは銀貨より安かった。
だがそれから時が流れ、世界が秩序を取り戻すに連れて冒険者のあり方も変わってきた。そして五十年程前に設立したギルド支援庁が、その中で果たした役割は決して小さくない。
今でも冒険者は、ギルド支援庁に登録せずとも仕事を受けることはできるし、登録せずにいれば支援庁の定める様々な制約に縛られることもない。しかしそれでも、冒険者を生業とするものの半数以上が庁の管理する名簿に現在登録されていると言われている。
それだけの人々が登録する理由は、何より登録者が得られる恩恵にある。例えば、研修生である間の衣食住の保証、教育の充実の他、研修終了後は冒険者以外の仕事につく場合にも有利になりやすいし、冒険者稼業を続ける場合も王室から下される割りの良い仕事を受けられる。こうしたメリットの見返りに一定の管理下で置かれることで、以前はアウトローで町の鼻つまみ者以外の何者でもなかった冒険者は、比較的クリーンな印象の元、市井に受け入れられつつある。
町と冒険者達との現在の関係性の変化を象徴する建物、支援宿舎に辿り着いた俺は、何となしに外装を改めて見る。普通の民家を横に二、三軒並べた程度の大きさの見た目に、三、四十名の登録志望の冒険者、いわゆる生徒達が寝食を共にしている。当番制で清掃の行き届いた建物は居並ぶ他の家々と同じく町に溶け込んでおり、かつての粗野で猥雑な冒険者の住処の面影はない。
残りの二人の受験志願者に、受験許可が降りたことを伝えその大層立派な建物に入る。既に日没の時刻になったこともあり、入ってすぐの共有スペースは暗闇に沈み、誰もいない。居住空間は主に二階であり、生徒たちの歓談の声は微かに聞こえて来る。玄関脇の灯具の中に松脂を放り込み、発火具で灯す。発火具には四重線の『増加と拡大』、灯具の表面の硝子には三重線の『安定化』の魔術印が、それぞれ火に関する形式で刻まれている。こうした基礎魔術印の施された道具というのはまだ貴重ではあるものの、いずれは広がり、文明の発展を押し上げていくのだろう。望むと望まざると関わらずに。
手元の淡い光を運びながら、二階へと向かおうとする。しかし、階段の手前、俺は足を止めた。階段の更に奥側の廊下から何やら話し声が聞こえる。その先には施錠された物置しかなく、生徒が立ち入る必要のない場所だ。
俺は一応、支援宿舎の管理人という立場であり、そこもとの鍵を携帯している。宿舎の運営当初は物置を荒らそうとする生徒もいた為だ。最近はいないと思っていたのだが、と用心しながら俺は奥へと進む。
だが、そこにいた人物を見て俺は気を緩めた。彼は俺が近づくと慌てたように話を切り上げて、居住まいを正した。
「おや先生。どうかしましたか」
「こんばんは、キリヤトゥス、こんな奥まった所で一人で何をしていたんだ」
そう、そこにいたのは探していた候補生の一人、キリヤトゥスだった。
視線をあちこちに動かして、目に見えて狼狽する。堂々としていれば眉目秀麗の好男子ではあるのだが、いかんせん色々と危うい。
「え、ええとそれは。少し静かに思索に耽りたくて」
「なるほど、だが何やら話し声が聞こえていたようだが」
「それは……そう、試験に向けた暗記項目の復唱ですよ」
視線を逸らしながらそういう彼の手には、花の装飾の施された金属球がある。掌に収まる程の大きさのそれはエルフの呪具だ。
遠隔地との意思伝達を目的とした呪物であることを俺は知っている。彼の一族に代々伝わるもので、上手く使えばそれこそ革新的な効果をもたらすだろうし、悪用する方法などそれこそ枚挙に暇がない。
「まあ話し込むのも良いが、あまり夜更かしするなよ」
だが彼があの呪具を使うのはいつも、母親との間だけだ。随分と心配性の母親らしく、時折息子の様子を確かめずにはいられないらしい。その時の会話を聞かれるのが恥ずかしいとかで、キリヤトゥスはよく人目を忍んで応対してしている。鬱陶しがりつつも応対している辺り、彼の心根の弱さ、というか人の良さのようなものが垣間見える。そう言うと、彼は随分と嫌がるのだが。
「そうだキリヤトゥス。今日局長に話をしに行ったのだが、言っていた通り、受験許可が降りたぞ」
受験資格証を渡すと、キリヤトゥスは取り繕うように澄ました表情で髪を整える。
「それはそうでしょう。優秀な僕をいつまでも冒険者見習いと言う立場にしておくのは世界にとっての大いなる損失ですよ」
「そうだな、今度は体調管理、しっかりするように。冒険者の基本中の基本だ」
そう言い添えると、キリヤトゥスは眉間をぴくぴくと震わせる。俺の二倍近くの身の丈があれど、反応はまだまだ未熟な若者のそれだ。
「それで。僕以外に二人の志願者の申請を出したのでしょう。そちらはどうでしたか?」
話を逸らす彼に、俺は肩をすくめながら答える。
「ザルギアはつつがなく許可が降りた。だがもう一人、フィーフィーの方が少し問題でな」
「やはり、校長に認められませんでしたか」
「いや、そうじゃない。ただ条件を一つ出された。後輩の育成で、ペアはアムネロアだ」
それを聞いて、キリヤトゥスは大きくため息をつく。
「それはつまり、認められていないってことと同義ではないですか」
俺は何も言えない。彼のいう通り、精霊族と一緒に何かを成し遂げるのは、紛れもなく困難なことだからだ。
エルフは精霊族と交流が比較的深い種族であり、不定形で未知の部分が多い彼らに関して一定の前提知識を有している。そんなエルフである彼、キリヤトゥスをアムネロアの教育係に当てたのは半年前。
だが小の月が一つ過ぎたあたりで、俺は彼の教育係の任を解いた。これ以上はキリヤトゥス側に負担がかかり過ぎると判断してのことだった。精霊族と継続的な関係を築くこと、例えエルフであっても難しいのだ。
今日の好調な出だしは嬉しい誤算とはいえ、猫人が精霊族の教育をするのは、不可能と言えるような課題であることに変わりはない。
「だがまあ、なんとかするさ」
「そんな曖昧な……まあ僕に頭を下げたら、前教育係として知ってる範囲でアムネロアのことを教えてやると、あのやかましい娘にまた伝えといてください、先生」
素直じゃないやつ、と苦笑しつつ、彼と別れの挨拶を交わして階段を上がる。三階の薄暗い廊下をひた進み、奥まったところにある扉の前に立つ。ここがもう一人の卒業候補者であるザルギアの部屋だ。扉の向こうから呼吸は聞こえるが、動く気配が感じられない。おそらく寝ているか、あるいは彼の種族が好んでよく行う精神統一の最中なのだろう。
そんな彼の邪魔とならないよう戸の隙間からそっと、資格証と俺からのメモを差し込む。慎重、というか臆病な彼がこれらに気づいたら、本物の資格証なのか、誰かのイタズラでないかをおっかなびっくり、何度も検証するだろう。棒で突いて安全を確かめたり、目を皿にして一字一字をチェックしたり。屈強な大男のそんな愛嬌ある様子を想像し、笑みが溢れそうになる。
これで用事を終えた俺は再び玄関へと向かう。途中、廊下に並ぶ扉の一つが開くと、中から魚人と鳥人が楽しそうに話しながら出てきた。彼らは俺に気づくと挨拶をして横を通っていく。別の扉の奥からは楽器の音が聞こえてくる。
騒がしい場所は普段あまり好きではないが、ここのことは割と気に入っている。暮らしいる生徒達一人一人に生活があり、考えや感情があるというのを、肌で感じられるからだ。もはや冒険者は志願者であっても捨て駒やはみ出し者ではなく、彼らの価値は銀貨や金貨で測れるものではない。
それから、支援宿舎を出て数軒隣、小ぢんまりとした自分の家に戻ってくる。なんだかんだ局長との面会や、蔵書館への移動などで疲れていたらしく、部屋着に着替えるやいなやどっとベッドに倒れ込んでしまった。天井の闇を見るでもなく見つめ、睡魔に身を任せながら、あれこれと思いを巡らせる。俺の知っているウンディーネの性質、候補者三人の今後のカリキュラムの組み方、はるか昔の大戦のこと。
そんな思索の隙間。ふと昼のフィーフィーとの会話のことを思い出す。
ーーカアル神だよ。あの緑っぽい毛並みの、狼みたいな。
彼女がそう言った時、俺は内心の動揺を上手く隠せたとは思う。だが、カアル神が彼女を転生させたという事実にこれから時折戸惑い、まごつくこともあるかもしれない。
彼女にも話したように、『転生者』をこの世界に連れて来る神は何柱かおり、それぞれ転生のさせ方に特徴がある。酔いどれた朝霧の神、ビジは元の世界から一つ好きなものを持って来れる。研ぎ澄まされた果物の神、シシシカは必ず相思相愛の一組の人間達を一度に転生させ、彼らの性別を反転させる。
そして巻き返す苔土の神、カアルの特徴は十歳前後で過去の記憶を思い出させることと、もう一つはーー
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