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腕を振るう度に、ぱさぱさと羽の音がする。
「上手だねおひいさん。ほら、もう飛べるよ」
ふわりと男が袖を揺らすと、碧は鳥になって空を飛んでいた。
いつも見上げてばかりの神社を上から見下ろし、ぱたぱたと羽ばたくとあっという間に家まで来てしまう。
羽を広げれば風に乗ってすいすいと進み、とても広く思えていた村を簡単に一周してしまった。
登って怒られた柿の木の枝に下りて空を眺める。
鳥になってもまだまだ空は高かった。
ふと見下ろしたところに、大きな尾の長い鳥が自分を見上げている。
立派な羽を広げ、その鳥は高く高く舞い上がった。
碧も羽ばたいて追いかけたけれど、とても追いつけない。
すると今度はゆっくり下りて来て、碧を背中に乗せて高く羽ばたいた。
村はどんどん小さくなり、雲が側を流れて行く。
大きな羽に寄り添いながら、碧は見たことのない景色をため息交じりに眺めていた。
風に乗りゆっくり弧を描きながら二羽は神社に降り立つ。
目隠しを外されると、碧は人に戻っていた。
立ち上がって振り向くと、男は変わらず片膝を立てたまま座っており、袖口を口元に寄せてクスクスと笑った。
「お礼はお気に召したかな?」
男の言葉に、碧は自分の手を何度も握ったり開いたりして、こくん、と頷いた。
碧は男の前に向かい合うようにして座り、布で隠された顔をじっと見つめた。
聞きたい事は明確だけれど、それを口にしたら取り返しがつかないような気がして、ぎゅっと唇を噛む。
「おひいさんは、私が怖いかい?」
先に口を開いた男の声音は、困っているような、悲しそうな、そんな、初めて聞くものだった。
「……すこし」
「おひいさんは賢い子だ。とても良い子だ。それで良いんだよ」
俯いた碧の頭を、男はそっと撫でた。
「……おにいさん、は……かぞく、いる?」
碧の問いに、男はゆっくりと首を横に振る。
「私はずっと、ひとりだよ」
「ひとりぼっちは、さびしいよ」
その言葉に、男は静かに、「そうだね」と答えた。
「おかあさん、いないの?」
「いるかもしれないし、いないかもしれないね」
「さびしいときは、どうするの?」
その質問に、男はすっと人差し指を立てた。そしてくるくると指先で宙に円を描くと、青い小鳥が飛んできて指先に留まり、ぴぃ、と美しい声で鳴く。
ぴぃぴぃ、と数度鳴き、小鳥は顔を男の手にすり寄せる。男が優しく背を撫でると、ピルルルと鳴いて今度は肩に乗った。
碧は、悲しいような、苦しいような、お腹の中がモヤモヤするような気分でぽとりと大きな涙を零した。
そんな碧を男は優しく抱き締め、片腕に抱えて立ち上がる。
「その涙が、欲しい。欲しい。願いは、願いを、おひいさん」
目の前で揺れる白い指先に、碧は「ふたりがいい」とぽつりと言った。
すると男の肩から小鳥は飛び立ち、どこかへと行ってしまう。
「涙、おひいさんの、涙」
懐から取り出した紙でそっと碧の涙を拭い、抱き締める腕に力を込めた。
「おひいさん」
碧を懐に抱いたまま、男はゆっくり語りかける。
「おひいさんの、名は……名前は、何と言ったかな……?」
碧はごくりと唾を飲み、口を開く。
「おそとで、なまえをいっちゃ……いけないの」
「……おひいさんは何と賢い子だろう、偉いねぇ。あぁ可愛いや可愛いや」
こつ、こつ、と男は碧を抱えたまま石段を下りる。
「それでは、手を……見せておくれ?」
優しく手の甲を冷たい指先で撫でられ、碧は手のひらを男に向けた。
男は碧の手を取りじっとちいさな手のひらを眺める。そして、白い指先でくるくると碧の手のひらに円を描いた。
「さぁ、今日はもうお帰り」
碧が口を開くより早く、男は碧を鳥居の外に下ろした。
振り向いた時にはもう男の姿は無く、碧は家に向かってとぼとぼと歩き始める。
碧の頭の上を、大きな鳥が山に向かって飛んで行った。
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