かみさまのたったひとりのおひいさん

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 あっという間に碧は七歳になり、近所の子からのお下がりだが綺麗な着物を着せてもらい、祖母と一緒に神社にお参りをした。  母親が迎えに来ないことは分かっていたが、それでも今日くらいは。と、淡い期待を抱いてしまっていて、お祝いなのに気持ちが少し沈んでしまう。  同じ小学校の子供たちもお参りに来ていて、みんなで並んで祈祷を受け、千歳飴を貰った。  お写真撮りに行くの。わたしはお出かけしてご飯食べに行くの。  皆両親と手を繋ぎながらキラキラとした笑顔を浮かべているが、碧は千歳飴を持って祖母の後ろを歩くだけだった。 「可愛らしいこと。愛らしいこと」  不意に後ろから聞こえて来た声に振り向くが、側には誰もいなかった。辺りを見渡してみても、やはり自分に語りかける者の姿は無い。  気のせい。と思ってまた歩き出すと、鳥居に留まっていた尾の長い鳥が飛び立ち、神社の周りをぐるりと回って山へ飛んで行った。    小学校三年生の社会科では、近所の神社について学んだ。  鳥鳴神社という名前の由来は、昔から鳥が鳴くと山の神様が下りて来ると言われていることからだと、神主さんは言っていた。  神主さんは本当は隣町の神社の神主さんで、行事の時や、時々神様のお世話をしにこの神社に来る。  昔は子供が大きくなる前に死んでしまうことが多くて、それは山の神様が子供が好きで連れて行ってしまうからだだと言われていたらしい。  だから、子供は七歳になるまで外で名前を教えてはいけないと厳しく教え、七歳になったら一人前になれた証としてお祝いをするのだと。  大人の言うコトリ様というのは神様のあだ名のようなもので、子を取る事から、子取り様と呼ばれているのだと、神主さんは言った。  何故そんな恐ろしいものが神様と呼ばれるのかというと、子取り様が子供を連れて行った年は見たこともないほど作物が良く実り、次の年には元気な子供がたくさんたくさん産まれることから、五穀豊穣と子孫繁栄の神様でもあると言われているらしい。  神主さんのお話を聞きながらふと社を見上げると、また尾の長い鳥がこちらを見ていた。  ほかの子は気付いていないのか、メモを取ったりこそこそとお喋りをしたりしている。  ノートに“子取り様”と書いた瞬間、左手の小指に電流が流れたような痛みが走り、ノートを落としてしまった。  慌てて拾い上げると、社の屋根から羽ばたいた鳥がくるりと円を描き山へと飛んで行った。    中学に上がった頃から、祖母は体調を崩すようになった。  二日働き、三日休む。といった具合で、気丈に振舞ってはいるものの、祖母は一層無口になり、碧は家で言葉を発することがほとんど無くなった。  学校から帰ると食事の支度をし、洗濯や掃除をこなし、くたくたに疲れながらも宿題をし、そのまま寝てしまう日が続いていた。  眠っている間は、どうしてか幸せな気持ちだった。  暖かくて、優しくて、そして誰かの声がして。  誰だろう、と考えようとすると目が覚めてしまう。  何か忘れているような気持ちになるけれど、それが何か全く掴めなかった。
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