2章 神様は耳を忘れた

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2章 神様は耳を忘れた

――私に耳は必要ない。 夏が来た。夏休みが来た。僕たちの小説は中々調子を上げずに、戸惑いながらもようやく簡単なストーリー構成を決めた所だった。 ーてことは、ファンタジー系でいくってことだよね。 ーそれが1番かなぁ。 もう何ヶ月もストーリーを考えるために二人でいることが多かったおかげで段々と黒瀬さんの口数、いや書き数も増えてきて、言葉も崩して話してくるようになった。 「夏休みだけど、文芸部って何かするのかなぁ…。」 遥のことだ。楽しいことが大好きで、いつもはっちゃけているような彼女だから、きっと何か企画をしてくるはずだ。 「夏休みには海に行くよ!!!!」 部活最終日の日にいきなり大きな声で遥が言い出した。その隣で資料をまとめながら副部長の金沢さんも前に出る。 「海に行き、私達は頭を冷やします。そこでインスピレーションを沸かせるんです。これは決して遊びなんかではないんですよ。」 生徒会長は頭の固い人だってことはわかっていた。あの生真面目さを利用されて、上手く遥かに言いくるめられたのだろう。あのワクワクしている遥の目を見れば、これがただの遊びであることは僕にだってすぐにわかる。 ー海だって。すごいね。 それでも僕の隣で目を輝かせている黒瀬さんのことを無視することはできず、僕もその海でインスピレーションを沸かすという企画に乗るしかなかった。 「日付は8月1日、時刻は10時から!場所は音無公園で!」 部室のホワイトボードにも同じことを書くと、せっせと黒瀬さんはそれをメモしていた。音無公園の近くには確か公共の海がある。後、あそこの特徴としては、夜に海岸で花火をしてもいいという事だ。もしかすると、遥はそこまで考えているかもしれない。 ーきっと君には何か秘めた能力があるに違いない。 パソコンを打つ手を止めることなく黒瀬さんは思ったことをスラスラと物語に書き留めているらしい。主人公の少女には何の取り柄もなく、そんな中彼女は別世界へと突然召喚されてしまった。原因も目的もわからないまま歩く少女は、光である不思議な少年に出会う。その少年は全てを知っているようで、彼女に力があるとそう告げたのだった。 ー面白いね。 ー最初にしては中々なものだと思う。 黒瀬さんはそう言いながら笑っていた。入学してすぐはどうなることかと思っていた。あんなに変わってしまって、立ち直らないかもしれないと思っていた。それでも、黒瀬さんは部活に入ってから前を向くようになった。笑顔を見せるようになった。 「良かった。」 僕が何か言ったことに気づいたのか、首をかしげる黒瀬さんになんでも無いよとメモを渡す。それでも結局彼女の耳が聞こえるようになることはない。黒瀬さんのそれは物理的なものではないと、中学時代の彼女を見ていた僕は知っているのだから。 「きっとまだ足りないんだろうな。」 それからというもの8月1日になるまで、僕の夏休みはいたって普通だった。家で夏休みの宿題をして、疲れたら漫画を読んで息抜き。食べて寝てを繰り返して、アドレスを交換したからといって、黒瀬さんからリアルタイムで会っている時以外に連絡が来ることもなく、僕は一人で夏休みを過ごしていた。 「哲也、水着はちゃんと持ってきたでしょうね?」 「中学の時のだけどね。」 つまんないのと口をふくらませる遥のことはほうっておいて、黒瀬さんの妙な荷物が気になる。 ー黒瀬さん。その荷物は? ーえっと、花火。部長が持ってきてって。 遥はやはり海で花火までを計画していた。これも僕への心遣いなのだろうか。遥には黒瀬さんへの好意はずっと前からバレているのだから。 「さぁ、みんな集まったわね?」 いつの間にやら文芸部員はみんな音無公園に集まっていた。更衣室に入って水着に着替える。中学時代からそこまで背は変わってないせいで、水着がスルリと入ってしまった。名前の書いてある水着じゃないから着てきたけど、もし名前あったらやめていて。 「さあ、海だ!!!」 遥は張り切ったビキニで、二年生の部員が少し気まずそうにしていた。それでも海に入ってしまえば見えないのだから、僕も走って海に向かおうとした。 「まてよ。耳の聞こえない黒瀬さんを一人おいていくのはまずい…。」 僕は女子更衣室から少し離れた所で待っていた。副部長も、二年生の先輩も全員でてきたが黒瀬さんだけは中々出てこない。 「あの、黒瀬さんは…?」 茶野先輩に尋ねると、ニヤニヤしながらスク水だから恥ずかしいってさと、だけ言って青戸さんや緑山さんのいる方に行ってしまった。 「く、黒瀬さーん!」 恥ずかしいが、さすがに一人更衣室に置き去りなんてことはできない。他の人がいるかもしれないとは思ったが、黒瀬さんの名前を呼ばないわけにはいかなかった。いや、まて、僕がここでどんなに声を出しても、黒瀬さんには聞こえない。 「やばい、この状況僕は更衣室には入れないし…。」 遥に黒瀬さんのこと頼めば良かった。僕じゃ黒瀬さんを慰めることすらできない。僕だってスクール水着だよと言いに行くわけもいかない。 ーなんで待ってるの? そんなことを考えていた時、顔を赤らめた黒瀬さんがメモを持って出てきた。 ーいや耳聞こえないと困るかなと思って 僕も戸惑いながら必死にメモに書き連ねる。冗談だよとメモを見せると、黒瀬さんは手招きしながら海の方へと走っていった。僕もつられてついていった。黒瀬さんの水着は、中学時代の水着で、それはつまり僕とおそろいだった。 「まぁ、男子の水着なんてあまり変わらないから気づかないだろうけど。」 それでも海にきて、楽しそうにみんなと遊んでいる黒瀬さんは中学生のときとおんなじ用な笑顔を浮かべていて、この調子なら耳だってきっと治ると、そう確信をえられるようなものだった。 日が落ちる前に僕たちは海から上がり体を温めていた。やはり花火は当初より企画されていて、夜にもう少し暗くなってから始めるのだと言う。金沢先輩はずっと海での思い出をメモ用紙に書き連ねており、本当にインスピレーションのために海に着たとまだ信じているようだった。そんな副部長のことを部長は遠目に笑っている。僕は一度外の空気を吸おうと思い、海の家を後にした。 「青戸はさ、私の水着姿見て、どう思ったよ。」 茶野先輩の声が聞こえたとともに、僕の体は一気に砂浜の方へと引き寄せられた。腕を掴んでいたのは黒瀬さんだった。岩の影に隠れており、そこから少し離れたところに青戸先輩と茶野先輩がいる。 ー静かにしなきゃ。茶野先輩はきっと今、気持ちを伝えてる。 聞こえていないけど、その場の雰囲気でわかったのか、黒瀬さんはじっと二人の様子を見つめたまま携帯電話の画面をみせてきた。  「どうって、うーん、わからんなぁ…。」 「あ、あのさ、じゃあ聞き方を変えるけど。」 茶野先輩は困ったように、それでも伝わってほしいと真剣な目で切り返す。青戸先輩は少し抜けているところがあり、鈍感だからきっとこの状況をよくわかっていないのだ。 「わ、私はずっと、青戸のことが。」 僕の袖が引っ張られるのを感じた。黒瀬さんは俺の袖口をぎゅっと掴んだまま、口をきゅっと結んで、目をうるませている。無理もない。あの日からまだ一年も経っていない。あの苦しい事件をそう簡単に忘れろという方が難しい。ましてや黒瀬さんのようなまっすぐで他人思いな性格なら、尚更だ。 ー行こう。 結果は気になった。でもそれ以上に黒瀬さんとここにいるほうが嫌だった。黒瀬さんだって辛そうだし、僕だって嫌だ。 空が暗くなった。夕焼けを通り越して、いつの間にか真っ暗になっていた。海の家も閉めるらしく、雑談をしていた僕たちは追い出されてしまった。 「よし!!頃合いだぁ!!黒瀬ちゃんあれを。」 黒瀬さんは部長の合図で聞かなくても何をすればいいのかわかったのか、大きなかばんから花火セットを取り出した。 「私も結構持ってきたからこれを合わせれば完璧ね!」 いつの間に仲良くなったのだろう。二人は置き花火や線香花火を沢山買ってきたらしく、夏の風物詩は僕の夏らしくない自宅での暮らしを忘れさせてくれた。 「花火綺麗…。」 「そうだね。」 結果はわからない。それでも、今の茶野先輩と青戸先輩の二人を見ているとなんだか温かい気持ちになった。緑山先輩も優しい目で二人を見ている。 ーこれ、やってみて 黒瀬さんは歪な形をした線香花火を僕に渡してきた。僕はそれを手に持って黒瀬さんは先端に火を灯した。線香花火はただ明るく光って落ちるのではなく、くるくると回りながらその明かりを灯した。 ーすごい。 ーでしょ? リアルタイムで近くにいるのに携帯電話で会話をしている。それでも、耳が聞こえなくても気持ちは通じると、なら耳が治らなくても良いと、そう思わせてしまっていたのは僕だったのかもしれないと、後々になってようやく気がつくのだった。 夏休みで楽しかったことは結局それだけだった。8月の頭に僕の夏休みのピークは着て、その後は実家に帰ったりといつもどおりの夏休みだ。遊園地に二人でいくとか、そういう夢のようなことは起きることなく、僕の期待とは打って変わって現実はセミの鳴き声とともに通り過ぎていった。 「で、二人とも小説はできた?」 「えっと、今起承転結の承で…。結末が決められてないというか…。」 僕が説明すると、黒瀬さんも空気を読んで申し訳なさそうな顔をした。それでも遥は容赦なく僕たちに驚くべきことを告げたのだ。 ー忠告。小説は文化祭の文芸部の出し物、朗読劇で読んでもらいます。 「待ってよ。」 ホワイトボードの文字を見てすぐ、黒瀬さんは焦ったように小説をの続きを考え始めていた。それでも僕が気がかりだったのは朗読劇ということ。 「黒瀬さんは声が出ない。どうするんだよ。」 「耳が聞こえないから、声も出ないんだから仕方ないでしょ。その分裏方で頑張ってもらうわよ。」 無様にも撃沈した僕は、正論をつきつけられてどうすることもできなかった。朗読劇に参加するためには耳が治らなくてはならない。耳が治るということは、あの日のことを乗り越えるということ。それは彼女にとって1番難しいことだ。 ー私のことは良いよ。 黒瀬さんの元にむかうと、彼女はそのメモを僕に手渡した。小説を書く手を止めずに、必死にパソコンに文字を打ち込んでいる。入学当初に比べてタイピングも手慣れてきていて、ブラインドタッチすらできるようになってきていた。人1番努力していたのに、朗読劇という舞台に立てないなんて。 ー僕が絶対耳を聞こえるようにするから。二人で物語を完成させよう。 そのメモを手渡すと、黒瀬さんは一度目を見開いてから、顔を伏せてそのまま小さくうなずいた。 文化祭まであと数日。無事書き上がった小説。お世辞にも傑作とは言えなくても、僕たちの作品だった。気持ちが込められている小説だった。 「そうだ…。」 気持ちが込められた小説。今の黒瀬さんは耳が聞こえなくても気持ちは伝わると思っている。耳が聞こえなくてもいいと、そう想っている。耳が聞こえなくなるきっかけは聞こえなくなればいいと思ったことだ。なら、聞こえたくなればいいのだ。聞きたくなればいいのだ。 ー僕の朗読、僕たちのこの作品を今から声に出して読むから。聞いてくれないか。 そのメモを見て、黒瀬さんは目を見開くと同時に、目が鋭くなり、大きくうなずいた。
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