3章 神様は耳を欲した

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3章 神様は耳を欲した

――――私の耳はきっと治る 卒業式が終わって、教室に残る生徒は少なくなってきた。私は、三年間思いを寄せている灰原直樹に告白をしようと、ようやく決意したのだった。 「直樹はモテるからなぁ…。もしかしたらもう他のこの告白を受けてるかも…。」 ずっと同じクラスでずっと見てきた好きな人だ。誰にでも優しくて、私が困っているといつも助けてくれた。もしかしたら直樹は私のことを好きかもしれないと何度も思わされた。 「よしっ!!決意は固まった。」 体育館裏だとありきたりで何だか恥ずかしいので、屋上に呼び出した。 「直樹!!」 「お、梓じゃん。急に呼び出してどうしたの?」 わかってるくせに。こんな時期にこんな場所に呼び出すなんて、告白意外ありえないでしょ。それでも、それをわからないふうに装って、気遣ってくれているのだと、私はますます好きになってしまった。 「私、ずっと、直樹のことが好きだったの。だからもし、直樹さえ良かったら付き合ってください!!!」 覚悟は決めた、。泣いても笑っても、これで私の中学生は終わり。次行く高校だって直樹とは別々。気まずいってこともないし、それにあえてみんなが行かないところを受験したんだから。それでも。 (お願い!!) 「梓の気持ち受け取ったよ。いいよ。付き合おう。」 「ほ、ホント!?」 その時、直樹が一度も私のことを好きなんて言っていなかったことに気がつくべきだった。告白されたから、受けただけ、直樹にとっては息を吸うようなものだった。私の気持ちと直樹の気持ちはすれ違っていた。それに気がつくことができなかったのは、喜びの余り舞い上がっていたからだった。 「ふんふ〜ん。」 鼻歌を歌いながら下駄箱に向かうと、直樹の背中が見えた。彼氏になったし、一緒に帰ってもいいかなと思い、声をかけようとするとそこに栗林美南がいることに気がついた。私と同じく直樹のことが好きで、直樹にいつもべったりくっついていた女子だ。 「ごめんね、私付き合ってるんだぁ〜。でも、気持ちは伝えたいだろうし…。」 いつも見せつけてくるようにしてきた彼女だったけど、さすがに同じことを考えていたライバルだ。清々しい気持ちだし、止めることはしない。そのまま帰ろう。そう思った時だった。 「いいぜ。俺もお前のこと好きだし。」 「なおくんは、私のこと好きだもんね〜。」 耳を疑った。ドアから出ようとしてそんな声が聞こえて、何もしないでいられるわけがなかった。 「嘘。直樹、私のことが好きなんじゃ…。」 追い打ちをかけるように、嫌なノイズが聞こえてくる。 「ここじゃ、キスはまずいだろ?」 「いいじゃ〜ん。記念だよぉ。」 やだ、何も聞きたくない。嫌い。走るしかなかった。私にできることはそれだけだった。その場から逃げ出すことしか、できることがなかった。弁解の余地なんてない。確信犯だ。私はもう誰も信じたくない。誰も好きじゃない。何も聞きたくない。 ーねぇ。待ってよ。 そう言って私を呼び止める声。耳が聞こえなくなる寸前に聞いたあの声。とても純粋で直樹のあの声とはまるで違って、耳が何も聞きたくないと思った私でも、聞こえてしまうくらいのきれいな声で。 「ごめんなさい。」 待ってという声に私は謝るだけして、そのまま走った。他にも何かを言っていた気がする。それでも、私は全てもう、聞こえなくなっていた。風を切る音で何も聞こえないのだと思っていたけど、私の耳は何かが詰まったかのように、音を伝えなくなったのだ。 僕は朗読を始めた。目をつむっている黒瀬さんを前にして、二人で書いた小説を読み上げた。何も聞こえない彼女に、読み上げても無駄かもしれない。そう思ったけど、読むことをやめなかった。 「その少女はこの世界では神様だったのです。少年にとってその少女は神様でした。前の世界から逃げ出してきた神様を、少年は迎え入れるかのようにして、歓迎したのです。少年もまた前の世界にいたからこそ、その世界が彼女に合っていないことがわかっていました。だからこそ、彼女を召喚することで世界から救ったのです。しかしなぜ少年はそこまでして彼女に肩入れするのでしょう。別世界の神様だとしても、彼女を救う義理はその世界に住む少年にはありません。」 私は朗読を聞き始めた。目をつむって何も見ないで、音を感じようと思った。哲也くんの声を聞こうと思った。私をいつも助けてくれた彼。中学の時に私に最後に声をかけてくれたあの人も、きっと哲也くんみたいな人なのだろう。いや、もしかしたらあの人は哲也くんなのかもしれない。もし、声さえ聞こえれば、あの時聞こえた声が哲也くんなのかどうかわかる。 「少年は神様であるにも関わらず、少女に恋をしてしまったのです。」 クライマックスだった。穏やかな声。どれくらい久しぶりに聞いただろうか。耳をつまらせていたもやもやが綺麗に取れたかのように、全てが透き通った。ここでもし耳が聞こえると哲也くんに伝えれば、読むのをやめてしまうかもしれない。もう少しだけ、この物語が終わるまで、その声を聞かせてほしいな。 ーパチパチ 読み終えるとともに黒瀬さんが拍手をした。目には涙を浮かべている。声が聞こえていなければ、今拍手をすることなんてできない。 「もしかして…。」 「とっても、良いお話だよね。これ。」 僕の声を遮って黒瀬さんはその優しい声で話し始めた。あの日以来だ。僕が最後に彼女の声を聞いたのは、ごめんなさいという謝罪の言葉。その謝罪はきっと誰に向けられたものでもない。彼女自身に向けたものだった。僕と君が声を通して向き合ったのはきっとこれが初めてだろう。それでも僕と彼女の朗読劇を聞いていた部員のみんなは黒瀬さんの耳が聞こえるようになったことを喜んで、僕たちの朗読劇に黒瀬さんの名前が刻まれることになった。 文化祭当日。副部長兼、生徒会長の金沢さんの放送とともに僕たちの文化祭は幕を開けた。一年は殆どの時間が自由時間で、僕たちはすることもないので、文芸部の部室にこもりきりだった。朗読劇が始まるのは午後の1番人が集まる時間だ。そうでもしないと、他の目立つ部活に人をとられてしまう。 「私、今すごくワクワクしてるの!!」 黒瀬さんは今までずっと耳が聞こえていなかった。その事実を知っているのは担任の先生と、黒瀬さんの両親、そして僕たち文芸部員だ。つまり同じクラスの生徒はみな、黒瀬さんのことをただの地味な暗い生徒としか思っていなかっただろう。 「僕も朗読劇楽しみだよ。」 こうやって黒瀬さんと会話をすることには慣れていない。入学式からずっと話してきたのに、声で話すという機会は久しぶりというより、初めてで少し戸惑ってしまう。 「もう一回読み合わせしとこっか?」 僕がそう誘うと黒瀬さんは本番の時に緊張しちゃうから、練習はしないと言った。 「でもこーやってじっとしてるのも嫌だし、何か食べに行かない?」 黒瀬さんの方からそう誘ってもらえたのは意外で、それでも嬉しくて、僕はその誘いに乗った。今となっては乗らなきゃ良かったとしか思えない。文化祭というものがどんなものなのか、僕が全然理解していなかったせいだった。 タピオカ屋さんやクレープ店など流行りのものから、王道まで様々な店が揃っている。この学校は敷地だけは広く、様々な店が揃っていて豪華な文化祭だ。他校からもたくさんの人が訪れていた。 「お前どっかでみたことあるなぁ…?」 僕が黒瀬さんから少し目を離した隙だった。黒瀬さんは他校の生徒に絡まれていた。それも一番絡まれるべきでない相手に。 「て、哲也くん…。」 黒瀬さんの怯え切って青ざめた顔。今にも瞳からこぼれそうな涙。そして彼女の目の前に立っていた人。 「直樹…。」 「やっぱり黒瀬梓じゃん。あのあと全然連絡とれなかったけどどうしたの?自然消滅?」 自覚がないのか。それともわざとか。今だって隣に栗林美南とは別の女子がいるにも関わらずそういう話をする。変わってない。女子の前では態度を変えて、僕みたいな弱い人間の前では不良であることを隠さなかったタチの悪い生徒。 「や、やめて…!!」 「黒瀬さんっ!!」 僕の声を無視して、黒瀬さんはそのまま走って行ってしまった。すると直樹は今度は僕のほうに向き直った。 「人の女取るとかズルくね〜?」 「取ってない。黒瀬さんは僕のものでもなければ、直樹のものでもないんだ。」 それだけいうと、僕は黒瀬さんを追いかけた。もしかしたら、またショックで耳が聞こえなくなっているかもしれない。それはダメだ。それだけはダメだ。こんな最低な男に2度も耳を奪われるなんて、僕はそんなこと許せない。 「黒瀬さん待って!!」 屋上だ。きっと黒瀬さんは屋上に向かったはずだ。時計を見るともう少しで朗読劇の時間だった。ゆっくりしすぎた。屋上のドアは乱暴に開かれていて、文化祭だから出入り禁止になっていたにも関わらず黄色いテープは千切られていた。 「黒瀬さん…。」 聞こえないのか、聞きたくないのか、振り返ることはない。 「待ってよ…。ねぇ、行かないでよ。」 また僕の気持ちも聞かないで、遠くへ行かないでよ。黒瀬さんは振り返った。涙で頬を濡らしている。 「前にもこんなことあったよね。」 黒瀬さんの耳はどうやら聞こえているようだった。僕の方をみてそう話し始めた。 「私が失恋した時、私も呼び止めたのは哲也くんでしょ?なんで、私のことそんなに気にしてくれるの?」 「それは…。」 今は言いたくない。今この気持ちをそのまま言葉にしたくはない。便乗したみたいで格好が悪い。僕は自分自身で自分の言いたい時にこの気持ちを伝えたいんだ。 「僕にとって君は神様だったから。あの世界から救ってこの世界に連れてきたんだ。」 黒瀬さんは笑った。それは小説の話でしょと言いながら、涙を手で拭った。 「一緒に朗読劇、成功させようね。」 「こうして、少年のお陰で、神様として少女は幸せに暮らすのでした。」 拍手の音とともに僕たちの肩の力は一気に抜けた。安堵とともに喪失感にも襲われた。長い時間をかけて必死にかいた小説も、読み上げてしまえば長くもなく、あっさりとしていて、よくよく考えてみれば、変えた方がいい箇所がいくつもあった。 「楽しかった…。」 それでも黒瀬さんは清々しい笑顔で僕にそう言った。僕もそれに大きくうなずいた。 「哲也くんにとっての神様って私なんだよね…?」 「ま、まぁ…。」 僕にとって神様ですなんて告白してるようなものじゃないかと今更気がつくも、きっともう遅いだろう。 「すぐに立ち直ることはできない。当分恋愛だってしたくない。」 黒瀬さんは申し訳なさそうに言った。やっぱり僕の気持ちは伝わったんだ。それでもこんな時に告白したってうまくいくはずなかった。いや、元から直樹に歯が立たなかった僕は、負け犬だったかもしれない。 「でも、私のことをあともう少しだけ神様だって、そう思ってて欲しい。そしたら、私はきっと哲也くんのことを神様だって思えるようになるから。」 そうはにかみながら言う黒瀬さんを茫然と見ていると、黒瀬さんは顔を赤くして笑った。 「沈黙の神様は君のおかげで心を取り戻したんだから。」
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