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満月の晩 宿にて(不動 伽威)
元治元年 水無月
襖の開く音がした。
「不動さん、おじゃましますよ」
赤い髪を綺麗に結い、髪と同じ色の紅を指した姉ちゃん――橘が部屋に入ってくる。
「どうも」
「ごめんね、遅くなって」
「いんや、いい女は男を待たせるぐらいじゃねえと」
姉ちゃんはゆっくりと俺の真正面に座った。しかもかなりの距離を開けて。
「せっかくなら隣に来てくれりゃいいのに」
ぱんぱん、と畳を叩くが ふい とそっぽを向かれる。
「誰がそんなこと。不動さんなんかの隣に行くわけが無いでしょう。そういうことをしたいなら島原に行けばよかったんじゃないの?」
「んー、あいも変わらず冷たいな。まぁそこも姉ちゃんのいい所だけどよ」
褒めたつもりだったが、かえって姉ちゃんの癪に触ったらしい。
「不動さんと男女の仲になるつもりは無いっていってるでしょうが。いい加減にして欲しいわ」
「そういう割に今日ここへ来てくれたのはどうしてだ? 嫌なら断ればよかったろう?」
軽く顎をさすりながら尋ねる。
「どうしてもお願いだってしつこく頼み込んできたのは誰だったかしらね。俺が全部奢るから、どうしてもこの日の晩、池田屋じゃないといけないんだ、って……。家の外に追い出しても しつこく言うせいでまわりからも、食事くらい行ってやればいいじゃない、だなんて言われて 大変だったんだから仕方なくよ」
「そりゃ悪かったな、でも来てくれて助かった」
そうしているうちに、豪華な食事や酒が配られる。
ほかほかのごはんに 刺身に酢の物にしじみの味噌汁……ここの飯は結構美味いんだよな。料理を運んできた中居の姉ちゃんにそれぞれの食べ物の説明を受けるが、ほとんど上の空だった。
今日これから起こることが楽しみで楽しみでならない。
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