十六夜の日 街中にて(多能 九兵衛)

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十六夜の日 街中にて(多能 九兵衛)

元治元年 水無月 今日も郷都の街は平和やなぁ。 今まで長い間ずっと旅の一座で過ごしてきたから、色んなところを知っているつもりでおるけど、こんなに穏やかな街も珍しいわ。 活動の拠点をここに決めたのも正解やったな。 日をまして蒸し暑さが強まる郷都の街を、鼻歌を歌いながら歩く。 次の公演はどの話がええやろか。 うちの一座の売りはやっぱり馬琴の「八犬伝」。 俺が小さい頃からずっとやっとるもんやからそろそろ飽きてきたな。 まあ それなりに面白いんやけど、もう少し手札を増やしておきたいところや。 せっかくならどーんと新しい劇を俺が作るのもありか……。 なんかいい話は無いもんかね。 大通りに出ると、なんや騒がしい。街中の人々がヒソヒソと話し込み、瓦版がひっきりなしに配られている。 「知ってるかい、昨日の晩……」 「……だそうだね。にしても可哀想なこった」 「そりゃ……が……いや、あまり大声では言えないね」 「浅葱色の羽織を着ている人たちを見たらすぐに離れた方が身のためだよ」 なんや? そんな何かに脅えたような様子で。 辻斬りでも出たんやろうか。 にしても浅葱色の羽織……? そういや幾月か前に変わった連中が幕府からの派遣で来たらしいけども……。 なんかやらかしたんかね。どうも芸にばかり力を入れていると世間のことから疎くなる。常に流行を追ってこその芸術でもあるんやけどなかなか難しいな。
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