十六夜の日 街中にて(多能 九兵衛)

3/4
前へ
/124ページ
次へ
ぼんやりと考えながら歩いていると、一人の男と肩がぶつかった。 「あっ、すんません。悪いな、前見てへんかった」 謝りながら頭を深々とさげる。 「おぅ、俺は大丈夫だ。兄ちゃんも怪我はねえか?」 優しい人で助かった。ゆっくりと顔を上げると心配そうに顔を覗き込まれる。 「あれ……?」 肩につくくらいまで長く伸ばした髪、少し目つきの悪く見えるつり目、赤い瞳……この人の顔、どこかで見たことがあるような。 「兄さん、どこかで俺と会ったことあります?」 「ん? いや、ねえと思うぜ。そういう言葉は美人の姉ちゃんを口説く時に使いな」 笑いながらばしばしと肩を叩かれた。 確かにそれはそうやな、初対面の男にそんなこと言われたら驚くに決まっとる。 にしてもどこかで見たことあるような……誰かに似とるという訳でもなさそうやし。 もしかすると客として劇を見に来たことがあるんかもしれんな。 「そりゃどうも、失礼しました。一座で座長をやっとるもんで、きっと客の誰かと間違えたんやわ」 「おう、気にすんな。そう言えば、手に持ってる瓦版……それって昨晩のことが書いてあるやつか?」 ゆっくり頷くと瓦版を手渡す。 「そうやで、神戦組が討ち入りした事件やな」 「ありがとな、少し読ませてもらう。俺が行った時はもう人がごった返してて手に入らなくてよ」 その男はざっと流し読みすると、目を細める。 口の端が緩やかになったように見えたのは俺の気の所為やろうか。
/124ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加